2023-10-29から1日間の記事一覧
西暦219年、関(かん)羽(う)が北に向かっての遠征を開始し、曹仁(そうじん)が守備していた樊(はん)城(じょう)に攻め寄せた時のことです。長雨で城が水びたしになり、ところどころ崩壊するしまつ。樊城の守備隊は動揺し、城を捨てて逃亡することを考…
関(かん)羽(う)の顔はなぜ赤いのか。故郷の解県(かいけん)で罪を犯して逃げる途中に、河で顔を洗ったら赤くなったという話を聞いたことがある方も多いと思います。関羽と張(ちょう)飛(ひ)の出会いについては、張飛が井戸に豚肉を保管して上に重い…
諸葛亮が漢中に行ったのは建興五年なのに、諸葛亮に従って漢中に行ってから亡くなった諸葛喬の没年が「建興元年」と『三国志』に書いてあるのはおかしいです。 この明らかにおかしい没年の記述は、「諸葛亮に実子が生まれた建興五年より後に養子の諸葛喬が若…
三国志 呉ごの第三代皇帝 孫休そんきゅう。 諸(しょ)子(し)百家(ひゃっか)の本を読み尽くそうというほどの読書家で、五経(ごきょう)博(はく)士(し)を立てたり干拓(かんたく)事業を行ったりと積極的に政治に取り組み、皇帝になる前に厳しく当た…
『三国志演義』の劉備(りゅうび)は詩を作らないキャラクターです。『三国志演義』第三十四回で、劉備のことを邪魔だと思っていた蔡瑁(さいぼう)が劉備の詩を偽造して劉表(りゅうひょう)に見せ、あいつはあなたに背く気ですと讒言(ざんげん)した時、…
西暦196年、劉備(りゅうび)が袁術(えんじゅつ)と戦っている時に、当時の劉備の根拠地であった徐州(じょしゅう)の下邳(かひ)城の留守を預かっていた張飛(ちょうひ)が同僚の曹豹(そうほう)といさかいをおこし、呂(りょ)布(ふ)から城を奪われる…
袁術の「エンスイ」読みは資治通鑑の注釈者胡三省が「音遂」と音注をつけているためですが、それは妥当なのでしょうか。彼が根拠としている礼記月令を見ながら考えてみました。
三国志の中で、劉備(りゅうび)と諸葛亮(しょかつりょう)の出会いをプロデュースしたキーパーソンである徐庶(じょしょ)。三国志演義の中では忠と孝との板挟みになり劉備のもとを離れて曹操(そうそう)に降ったものの、心はずっと劉備にあり続けて曹操…