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劉備のおべっか作戦炸裂!即興詩「美なるかな周郎」(三国志平話)

三国志演義』の劉備りゅうびは詩を作らないキャラクターです。
三国志演義』第三十四回で、劉備のことを邪魔だと思っていた蔡瑁さいぼう劉備の詩を偽造して劉表りゅうひょうに見せ、あいつはあなたに背く気ですと讒言ざんげんした時、劉表は「玄徳げんとくと長い間いっしょにいるが、彼が詩を作ったところは見たことがない」と言って讒言を信じませんでした。

横山三国志劉表画像

画像:横山光輝「三国志」(潮出版社)第20巻79ページ

三国志演義』ではあいつが詩を書くなんて信じられねぇよォと劉表に思わせた劉備ですが、『三国志演義』より前に成立した『三国志へい』では劉備はいくつか詩を詠んでおります。

本日は『三国志平話』で劉備周瑜しゅうゆに捕らわれそうになった時におべっか全開の詩を作って難を逃れた話をご紹介いたしましょう。

赤壁の戦いの直後に劉備を危険視する周瑜

時は赤壁せきへきの戦いの直後、曹操そうそうが敗走し、劉備軍と軍が落ち合った場面です。

【原文】
兩家對陣,聽道:「來者之師,莫非周公?」皇叔下馬,與周瑜相見。周瑜見了皇叔,大驚唬言:「從其虎,救其龍,幾時見太平!」言畢,兩個相對,周瑜在左,皇叔在右。行到天晚,各自下寨。
【訳】
両軍は向き合い、(劉備は)こう尋ねた。
「そちらの将は周公ではありませんか?」
皇叔こうしゅく(劉備)は馬を下り、周瑜とまみえた。周瑜は皇叔をみて大いに驚いた。
「虎を手下にしたつもりが龍を救ってしまったとは。油断できぬ!」
両者対面し、周瑜は左、皇叔は右につき、夜まで行軍し、それぞれ宿営した。

【原文】
周瑜自思:曹操乃篡國之臣,吾觀玄德隆準龍顏,乃帝王之貌。又思:諸葛命世之才,輔佐玄德,天下休矣!我使小法,囚了皇叔,捉了臥龍,無此二人,天下咫尺而定。魯肅點頭,言:「元帥言是也。」
【訳】
周瑜は考えた。
曹操簒奪さんだつをはかる臣だが、玄徳(劉備)の鼻が高く龍のごとき顔は帝王の相だ」
またこのようにも考えた。
諸葛亮しょかつりょうの秀でた才能が玄徳を補佐していれば天下はおしまいだ。小細工をして皇叔と臥龍がりょう(諸葛亮)をとらえてやろう。この二人がいなければ天下はじきに定まるだろう」
魯粛ろしゅくはうなずいて言った。
元帥げんすいのおっしゃる通りです」

周瑜劉備の顔を一目見ただけで、こいつは帝王になってしまう顔だ、こいつを除かなければ呉の天下にはならない、と確信したんですね。
どんだけすごい人相見なんでしょうか。

黄鶴楼で宴席を設けることを提案する

【原文】
次日天曉,皇叔作宴。元帥以下眾官皆請。至晚,周瑜告皇叔:「南岸有黃鶴樓,有金山寺西王母閣,醉翁亭,乃吳地絕景也。」皇叔允了。
【訳】
翌日になると皇叔が宴席を設け、元帥(周瑜)たちを招待した。
晩に至り、周瑜は皇叔に言った。
「南岸には黄鶴楼こうかくろう金山寺西王せいおうかく、酔翁亭があり、呉の絶景です」
皇叔は承諾した。

劉備赤壁の戦いのお疲れ様会をやってくれたので、次は周瑜黄鶴楼こうかくろうで一席を設けたいと劉備を誘ったんですね。
はくの「黄鶴楼にて孟浩然もうこうねん広陵こうりょうくを送る」で有名な、江南こうなん三大名楼めいろうの一つであるあの黄鶴楼です。
もとは孫権そんけん物見櫓ものみやぐらとして作ったものだそうで、西暦223年に作られたそうですから赤壁の戦いの時にはまだないはずですが、『三国志平話』は気軽に楽しむ物語ですから細かいことは気にしないことにいたしましょう。

酔って絡み始める周瑜

【原文】
來日,周瑜邀皇叔過江上黃鶴樓筵會。皇叔過江上黃鶴樓。劉備大喜,見四面勝景。周瑜言:「南不到百里,有□□關;北有大江;西有荔枝園;東有集賢堂。」眾官與皇叔筵會罷,周瑜言曰:「前者諸葛過江,美言說主公孫權,舉周瑜救皇叔。」周瑜有酒,言:「諸葛祭風,有天地三人而會,今夏口救得皇叔,若非周瑜,如何得脫!諸葛雖強,如何使皇叔過江?」皇叔聞之大驚:「此乃醉中實辭!」
【訳】
その日がくると周瑜は皇叔を招いて長江を渡り黄鶴楼に席を設けた。
皇叔は長江を渡り黄鶴楼へ昇ると、周囲の景勝に大いに喜んだ。
周瑜は言った。
「南には百里以内に〇〇関があり、北には長江があり、西にはライチ園があり、東には集賢堂があります」
周瑜たちと皇叔の宴会が終わると、周瑜は言った。
「前には諸葛どのが長江を渡ってきて、わが主君の孫権をうまい言葉で説得し、私に皇叔を助けるようにさせましたな」
周瑜は酔って言った。
「諸葛どのが風を祭った時には三人で会いました。いまこうの連中が皇叔を助け出そうとしても、私の手引きがなければ無理でしょうな。諸葛どのがいかに有能であろうとも、皇叔に長江を渡らせる手立てがありませんからな」
皇叔はこれを聞いて非常に驚いた。
「酔って本音が出たのだな」

三国志平話』の周瑜は酒癖が悪いようですね。
悪酔いして、諸葛亮にうまく釣り込まれてあんたを助けることになっちまったと愚痴を言い、いまは諸葛亮が一緒にいないからここであんたを捕縛するのはたやすいことだ、とべらべらしゃべってしまったわけです。
この酔い方はいけませんね(泣)

諸葛亮劉備に策を授ける

次の部分は状況がよく分かりませんが、どうも、劉備は一人で周瑜との宴会に出掛けたようです。
劉備の宿営では趙雲ちょううん張飛ちょうひが留守番をしており、諸葛亮かんは別の場所にいたようです。

【原文】
後說漢寨趙雲心悶,使人趕諸葛,關公二人復回。軍師入寨,不見皇叔。趙雲對軍師說張飛之過。軍師有意斬張飛。眾官告軍師免死。糜竺為參徒,使船過江。
【訳】
一方、劉備の陣営では趙雲が気をもんでおり、諸葛亮関羽を追いかけて呼び戻した。
軍師が陣営に入ると、皇叔が見当たらない。
趙雲は軍師に張飛の罪だと説明した。
軍師は張飛を斬ろうとしたが、官吏たちが諫めたので死を免じた。
じくが使いとなり長江を渡った。

諸葛亮は陣営に劉備がいないのを見て、なぜ一人で行かせたのかと怒ったようですね。
そして劉備のために策を書いたメモをじくに持たせて長江の南岸の黄鶴楼へ行かせたようです。

【原文】
至黃鶴樓上,見皇叔;令皇叔換衣,卻拾得紙一條,上有八字,書曰:「得飽且飽,得醉即離。」皇叔讀了,碎其紙。
【訳】
黄鶴楼に着いて皇叔に会うと、皇叔に着替えを勧めた。
(皇叔は)一枚の紙を拾った。
八つの文字が書いてある。
「得飽且飽 得醉即離(存分に飲ませ、酔ったら離れよ)」
皇叔は読み終わると紙を破いた。

麋竺が「お召し替えを……」と勧めながら、わざとポロッとメモを落としたんですね。
メモには周瑜を酔いつぶして逃げろと書いてあるようです。

劉備のおべっか作戦炸裂!即興詩「美なるかな周郎」

このあとがいろいろすごいんです!
劉備が即興で詩を詠めることにもびっくりしますが、その内容がまたびっくりです。
まずは詩を詠む前の部分を読んでみましょう。

【原文】
周瑜帶酒言:「曹操弄權,諸侯自霸!」皇叔告曰:「若公瑾行軍,備作先鋒。」周瑜大喜。
【訳】
周瑜は酒を帯びて言った。
曹操が権力をもてあそび、諸侯が勝手にをとなえておる!」
皇叔は言う。
「もし公瑾こうきんどの(周瑜)が軍をすすめるならば、私は先鋒をつとめましょう」
周瑜は大いに喜んだ。

周瑜はまだ酔って愚痴を言っていますね。
劉備は調子を合わせて、まったくみんな勝手やっててけしからんですよね、公瑾こうきん(周瑜)さん、やっつけちゃって下さいよ、私が鉄砲玉になりますから、と、周瑜が気持ちよくなっちゃうことを言いながらどんどん酒を勧めているようです。
さすがは人生経験豊富な劉備さんです。
さて、いよいよですよ、劉備のおべっか詩が炸裂です!

【原文】
皇叔將筆硯在手,寫短歌一首,呈與周瑜看。歌曰:
  天下大亂兮,劉氏將亡。
  英雄出世兮,掃滅四方。
  烏林一兮,銼滅摧剛。
  漢室興兮,與賢為良。
  賢哉仁德兮,美哉周郎!
贊曰:
  美哉公瑾,間世而生。
  興吳吞霸,與魏爭鋒。
  烏林破敵,赤壁鏖兵。
  似比雄勇,更有誰同?

【訳】
皇叔は筆とすずりを手に取り、短歌一首をしたためて周瑜に示した。
その歌に曰く
 天下が大いに乱れ劉氏が滅ぼうとすると
 英雄が世に出て四方を掃討した
 りんの一戦に敗れくじかれ
 漢室かんしつが興り賢者と良好となった
 賢なるかな仁徳 美なるかな周郎
さんに曰く
 美なるかな公瑾 世の間に生まれる
 おこみ ほこさきを争う
 烏林に敵を破り 赤壁殲滅せんめつする
 英雄性と勇ましさに比肩しうる者がいるだろか

曹操を破ったのは周瑜のおかげ! 美なるかな周郎、美なるかな公瑾、あなたの英雄性と勇ましさには誰も及びません! と、おべっか全開です!
劉備が詩を詠んだことにもびっくりですが、よくここまでおべっかを言えますよね。
すごいですよ劉備。並じゃない。

劉備のおべっかに大満足の周瑜、得意の琴を弾けなくなるほど酔う

周瑜劉備の詩を褒め、詩のお返しとして琴の演奏をしようとします。

【原文】
周瑜大喜:「皇叔高才!」
周瑜令左右人將焦尾橫於膝上,有意彈夫子「杏壇」。琴聲未盡,周瑜大醉,不能撫盡。
【訳】
周瑜は大いに喜んだ。
「皇叔は素晴らしい才をお持ちだ」
周瑜は周囲の者に焦尾琴しょうびきんを持ってこさせ、膝の上に横たえ、「夫子杏壇ふうしきょうだん」を弾こうとした。
演奏が終わらないうちに周瑜は大酔して、弾くことができなくなった。

周瑜は音楽に精通している人として知られていますね。
正史三国志には「曲有誤 周郎顧(曲に間違いがあると周郎が振り返る)」と言われていたと書かれています。
そんな周瑜が得意の琴も弾けなくなるほど酔ってしまいました。
劉備のおべっかに気分がよくなり飲み過ぎたんですね。

横道:意外に古典にちなんだ言葉もある『三国志平話』

ストーリーとは関係ありませんが、周瑜が持ってこさせた琴「焦尾しょうび」の話は『かんじょ蔡邕さいよう伝に出てきます。

【原文】
吳人有燒桐以爨者,邕聞火烈之聲,知其良木,因請而裁為琴,果有美音,而其尾猶焦,故時人名曰「焦尾琴」焉。
原文引用元:中国哲学書電子化計画 後漢書/列伝/蔡邕列伝下 最終閲覧日:2020年5月17日
参照ページURL: https://ctext.org/hou-han-shu/cai-yong-lie-zhuan-xia/zh

【訳】
の人にきりを燃やして料理をしている者があった。
蔡邕さいようはその火のはぜる音を聞き、これはよい木だと気付いた。
そこでその木を譲り受け、切って琴にしたところ、はたしてよい音がでた。
尾の部分が焦げていたため、当時の人はこれを「焦尾琴しょうびきん」と名付けた。

また、周瑜が弾いた曲の名前「夫子杏壇ふうしきょうだん」は『そう』「ぎょ」の冒頭部分が由来でしょう。

【原文】
孔子遊乎緇帷之林,休坐乎杏壇之上。弟子讀書,孔子絃歌鼓琴,奏曲未半。有漁父者下船而來
原文引用元:中国哲学書電子化計画 荘子/雑篇/漁父 最終閲覧日:2020年5月17日
参照ページURL: https://ctext.org/zhuangzi/old-fisherman/zh

【訳】
孔子は茂った林におもむき、あんずの木に囲まれただんに座って休んでいた。
弟子たちは書を読み、孔子は琴を弾き歌っていた。
演奏がまだ半ばに至らないところで、漁父が船を下りて近づいて来た。

三国志平話』は民間でできあがった本で、文中には当て字が多く、作品世界の時代考証もなされていません。
このことから、『三国志平話』といえばあまり教養の香りはしない本であるというイメージがあります。
しかし周瑜が琴を弾いた場面では『三国志』『後漢書』『荘子』を引いていますので、意外に古典を引くこともあるんだなと、この記事を書きながら思いました。

「元帥が酔いましたぞ」騒ぎに乗じて逃げる劉備

さて本題に戻りましょう。
周瑜が琴を弾きながら酔いつぶれてしまった場面の続きです。

【原文】
玄德曰:「元帥醉也!」眾皆交錯起坐,喧嘩。皇叔潛身下樓,至江岸。把江人言:「皇叔何往?」玄德曰:「元帥醉也。今明日淮備筵會,等劉備過江,來日小官寨中回宴,請您眾官。」把江官人不語。皇叔上船。
【訳】
玄徳は言った。
「元帥が酔いましたぞ」
人々は立ったり座ったりしてごたごたした。
皇叔はこっそり楼を下り、河岸に至った。河の管理担当官は尋ねた。
「皇叔さま、どちらへ?」
玄徳は答えた。
「元帥は酔ってしまいましたので、また宴席の準備をすることとして、私は長江を渡り、こんどは私の陣営の中で宴を設けて皆様をご招待するのです」
河の管理担当者は何も言わなかった。皇叔は船に乗った。

周瑜が琴を弾きながら酔いつぶれてしまったので、おそらくまわりの人たちは「もしもし、お布団に入ってちゃんと寝たほうがいいですよ」と声をかけたり、「ちょっとトイレ」と言ったりして、ごちゃごちゃっと人が動いたのでしょう。
劉備はそのどさくさに紛れて黄鶴楼を下り、船着き場まで行きました。
河の渡し場の守衛の人には「元帥が酔いつぶれたので今日はお開き。私はいったん河の向こうの自分の陣地に帰って次の宴会の準備をしますよ」と言って、難なく脱出しました。
おべっか & 酔いつぶし作戦、まんまと成功です!

琴を砕いてくやしがる周瑜

【原文】
後說周瑜酒醒,按琴膝上,緩然而坐,問左右曰:「皇叔何往也?」告曰:「皇叔下樓去了多時。」周瑜大驚,急叫把江底官人,言:「玄德自言元帥有令,過江準備筵會去也!」
【訳】
後に周瑜は酒が醒め、琴を膝に乗せてゆったりとすわると、左右の者にたずねた。
「皇叔はどこへ行ったか」
「皇叔は楼を下りて行き、もうだいぶ経ちます」
周瑜は大いに驚き、急いで河の管理責任者を呼んだ。その者はこう言った。
「玄徳の話では、元帥のご指示で河を渡って宴会の準備をするのだということでした」

【原文】
卻說周瑜碎其琴,高罵眾官:「吾一時醉,走了猾虜劉備!」使凌統甘寧將三千軍趕駕數隻戰船趕皇叔,若趕上,將取皇叔首級來者。
【訳】
周瑜は琴を砕き、周りの官吏たちを声高に罵った。
「一時の酔いで狡猾こうかつ野郎の劉備を逃がしてしまったぞ!」
凌統りょうとう甘寧かんねいに三千の軍を率いさせ、数隻の戦船で皇叔を追わせ、追いつけば皇叔の首をはねろと命じた。

琴を砕くというふるまいや「猾虜劉備」という言葉遣いから、周瑜のくやしがり方がよく伝わってきますね。
最初は宴会場で生け捕りにするつもりだったのが、追いついたら首をはねることになりました。

張飛に脅かされすごすごと引き返す。劉備百里の彼方へ

【原文】
皇叔前進,吳軍後趕;先主上岸,賊軍近後。張飛攔住,唬吳軍不敢上岸,回去告周瑜,心悶。數日,引軍過江,聽知皇叔與諸葛下寨於赤壁坡,離江一百里
【訳】
皇叔が進み、呉軍が追う。
先主(劉備)が上陸すると、賊軍が後ろに迫ってくる。
張飛が立ちふさがって脅すと、呉軍はあえて上陸せず、引き返して周瑜に復命した。
周瑜は煩悶した。
数日して、軍を率いて長江を渡ると、皇叔と諸葛亮は長江から百里離れた赤壁せきへきに陣営をかまえているということだった。

殺してしまおうとして軍勢を率いて追い、猛将に阻まれて諦め引き返すというパターンは、三国志演義赤壁で風を吹かせたあとの諸葛亮を追って趙雲に阻まれる場面や、劉備そん夫妻を追って関羽たちに撃退される場面と似ていますね。
こうして逃げられてしまい、あらためて行方を探った時にはもう百里も離れた地点に陣営をはられてしまっており、もう簡単には手の届かない状況になってしまっておりましたとさ……。

まとめ

劉備を並々ならぬ人物と見て、宴席を設けて捕らえようとする周瑜
周瑜のたくらみを見抜き、策をさずける諸葛亮
おべっか満載の詩で周瑜を気持ちよく酔わせてしまい、するりと逃げて行く劉備
なんとも面白い場面です。

詩を読む劉備や酔いつぶれて失敗してしまう周瑜三国志演義では見られません。
このように演義とはまた違った面白さのある『三国志平話』
機会がありましたらぜひ手にとってご覧になってみて下さい!

※記事中、『三国志平話』の原文は中国哲学書電子化計画から引用しています。最終閲覧日:2020年5月17日
参照ページURL: https://zh.wikisource.org/zh/全相平話/15