三国志の前半を盛り上げる人気者、袁術。
この人の名前を普通に音読すると「えんじゅつ」ですが、「えんすい」という読み方もあるという話を聞いたことがある方も多いと思います。
一体「えんすい」という読み方は何なのか、エンジュツとエンスイどちらで読めばいいのか?
調べてみたところ、『
- 意味によって発音が変わる漢字には要注意
- あざなと関係のある字義の読み方で読めばよい
- 大漢和辞典に載っている二つの読み方
- そもそもどうして「えんすい」説があるのか?
- 胡三省が言ってる「月令の審らかに径術を端すの術」って何??
- どうして『礼記』「月令」の「術」は「遂」と読むの?
- 「月令」の「術」は「遂」の誤記かもしれない!
- 困った時は『説文解字』
- 『説文解字』の「遂」の読み方を「術」の読み方と比べてみる
- まとめ
- 2020.9.2追記:ついに「えんじゅつ」で決着か!?
意味によって発音が変わる漢字には要注意
日本語で漢字の音読みってやたら種類がありますよね。
中国での漢字の読み方は一つであっても、日本に渡ってきた時期によって
そういうのは、三国志の人名ならとりあえず漢音で読んでおけば間違いにはならないと思います。
気をつけたいのは、中国での漢字の読み方自体が複数ある場合です。
漢語では意味によって漢字の発音が違うというケースがまれにあります。
例えば、「楽」という字は、音楽の楽なら「yue」、楽しいという意味なら「le」です。
日本語で音読みをする時は、音楽の楽なら「ガク」、楽しいという意味なら「ラク」と、明確に発音を分けています。
こういうケースだと、本来の意味とは違う発音で読んでしまったら間違いになってしまいます。
あざなと関係のある字義の読み方で読めばよい
もし「術」に字義(文字の意味)が何種類かあり、発音も何種類かあるのだとしたら、袁術の名前の意味にふさわしい意味での読み方をするべきでしょう。
袁術は、あざなを
当時のあざなの付け方は名前と関係のある文字を選ぶのが普通でしたから、「術」に「路」と関係のある字義があれば、その字義での読み方をすれば正解のはずです。
大漢和辞典に載っている二つの読み方
大修館書店の「大漢和辞典」第十巻をみたところ、「術」には二種類の読み方があるようです。
①シユツ/ジユチ
②スヰ/ズヰ
旧仮名遣いで書いてあるので、①シュツ/ジュチ、②はスイ/ズイ です。
①の読み方の場合の意味は、みち、わざ、のべる、集落の名、姓
②の読み方の場合の意味は、集落の名
だそうです。
袁術の名前はあざなの公路と関係があるはずですから、①の字義のなかの「みち」が当てはまりますね。
ということは、袁術の読み方は「エンジュツ」でいいんじゃないでしょうか!?
そもそもどうして「えんすい」説があるのか?
なぜ袁術を「えんすい」と読むべきだという説があるのでしょうか。
胡三省曰:「術字公路,當讀如月令審端徑術之術,音遂」
胡 三省 曰 く「術字 公 路 、まさに月令 の審 らかに径術を端 すの術の如 く読むべし。音は遂 」
この文章は『三国志集解』の巻六、袁術伝の冒頭の注釈部分にあります。
私が持っている上海古籍出版社の本だと二冊目の737ページです。
『三国志集解』の盧弼さんが、
胡三省はこう言っている。「袁術はあざなが公路である。『
礼 記 』の「月令 」にある「審 らかに径術を端 す」というフレーズの「術」のように読むべきである。音は遂である」
「音は遂である」とな。
大漢和辞典十一巻を見ると、遂の読み方は「スヰ/ズヰ」と書いてあります。
なるほどー、だから「エンスイ」になるんですね。
(※)「雲子春秋」さんで知りました。ありがとうございます!
参照記事:袁術の読み方は「えんすい」?
参照ページURL:https://chincho.hateblo.jp/entry/2019/01/24/220530
(※※)2020.9.1追記:出所は胡三省が『
胡三省が言ってる「月令の審らかに径術を端すの術」って何??
胡三省が袁術の術はスイと読むべしと言っているのは分かりましたが、「月令の審らかに径術を端すの術の如く読むべし。音は遂」と言われても、なに言ってんだか分かりづらいですね。
『礼記』の「月令」は、この季節にはこんなことをするよ、という、歳時記のようなことが書いてある書物です。
「月令」第六にこんなフレーズがあります。
是月也天氣下降地氣上騰天地和同草木萌動王命布農事命田舍東郊皆脩封疆審端經術
原文引用元:漢籍電子文献資料庫 重刊宋本十三經注疏附校勘記/重栞宋本禮記注疏附挍勘記/月令第六/附釋音禮記注疏卷第十四
最終閲覧日:2020年9月1日
URL: http://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihpc/hanjiquery?@134^69608502^90^^^../hanjimg/hanji.htm
草木が萌え始める時季に王が農作業の開始や境界の補修などを命じるという話ですね。
問題の「審らかに径術を端す」は、小道や溝をきちんとしておく、という意味のようです。
草が生え始める時季に手入れをしないと、小さな道や溝は草に埋もれてしまいますものね。
どうして『礼記』「月令」の「術」は「遂」と読むの?
胡三省の「月令の審らかに径術を端すの術の如く読むべし」までは分かりましたが、どうしてそのあと唐突に「音は遂」と言われるのかが分かりませんね。
それは『礼記』の注釈書『
『礼記注疏』には
『礼記注疏』のこの部分の音注に「術依注音遂(術は注に
「月令」の「術」は「遂」の誤記かもしれない!
「月令」の音注に「術は注に
ところで、その先を読んでいくと、疏(注の注)の部分に下記のような記述がありました。
云術周禮作遂以田農之事無稱術者術遂聲相近故疑術為遂
原文引用元:漢籍電子文献資料庫 重刊宋本十三經注疏附校勘記/重栞宋本禮記注疏附挍勘記/月令第六/附釋音禮記注疏卷第十四
最終閲覧日:2020年9月1日
URL: http://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihpc/hanjiquery?@134^69608502^90^^^../hanjimg/hanji.htm
この部分は、下記のような意味だろうと思います。
「術」は『
周礼 』では「遂」となっており、農業のことで「術」と称することはない。「術」と「遂」は音が近いから、「術」は「遂」のことではないだろうか。
つまり、「月令」にある「径術」の「術」は、本当は「遂」と書かれるべきだったということでしょうか。
「術」という漢字は「遂」と同じ音ではないんだけど、ここにある「術」は「遂」の代わりにここにいるからこの場合だけ「遂」と読む、ということなんでしょうか?
?????
困った時は『説文解字』
結局、まだ袁術の名前の読み方は分かりませんね……
困った時は『
『説文解字』は後漢の
三国志と近い時代にできた字典なので、三国志の時代の漢字の意味や読み方を知るにはよい字典です。
さて『説文解字』で「術」を調べると、下記のように書いてあります。
邑中道也从行术聲食聿切
引用元:国学大師 説文解字 汲古閣本
最終閲覧日:2020年9月1日
参照ページURL: http://www.guoxuedashi.com/kangxi/pic.php?f=swjzjg&p=112
「術」の意味は
食と聿の反切ということは、術という漢字は前半は食の音で、後半は聿の音で読めばいいわけです。聿の音読みはイツとかイチとかです。
食の「シ」から発音し始めて、聿の「ツ」とか「チ」で発音をおえるとしたら、これはどう考えても「すい」よりは「じゅつ」のほうに近い音ですね!?
『説文解字』の「遂」の読み方を「術」の読み方と比べてみる
『説文解字』で「遂」の説明も見てみましょう。
亾也从辵㒸聲徐醉切
引用元:国学大師 説文解字 汲古閣本
最終閲覧日:2020年9月1日
参照ページURL: http://www.guoxuedashi.com/kangxi/pic.php?f=swjzjg&p=104
「遂」の発音は「徐」と「醉」の反切。
『説文解字』の「術」の説明では「術」の発音は「食」と「聿」の反切ですから、『説文解字』の説明を素直に受け取れば「術」の発音は「遂」とは違いますね!??
まとめ
『説文解字』を素直に信じれば、袁術の読み方は「えんじゅつ」になると思います。
字義からしても、『説文解字』に「
『礼記』「月令」の「審らかに径術を端す」というフレーズについている注釈に、この「術」は「遂」という音で読むのだとあり、胡三省は袁術の術もそう読むべきだと言っていますが、どうしてわざわざ『説文解字』を疑って「月令」の注釈にある音で読まなければならないのか分かりません。
しかも、「月令」のその注釈に続く疏の中では、「周礼」ではこういうのぜんぶ「遂」で書いてあって「術」なんて書いてないからここも本当は「遂」なんじゃないか、音が近いから間違っちゃっただけなんじゃないの、と疑われている様子です。
また、その疏では音が「近い」と書いてあり、音が「同じ」だとは書かれていません。
「えんじゅつ」と「えんすい」のどちらの読み方が妥当であるか、決着はつきませんが、あえて「えんすい」と読まなければならぬと思わせるほどの説得力は、少し足りないかなぁと感じました。
2020.9.2追記:
ついに「えんじゅつ」で決着か!?
ツイッターでこんなお話を拝見しました。
袁術が
『礼記』「月令」の「審らかに径術を端す」について『礼記注疏』では「径」を「みち」、「術」を「みぞ」と解釈しています。
goushuさんのツイートは、袁術が自分の名前を当塗高に対応すると考えたのであれば袁術の「術」は「みち(塗)」であって「みぞ」ではないから『礼記』「月令」のように「スイ」と読まなくてもいいのではないかというご趣旨だと思います。
「みち」と「みぞ」を違うものとして考えることができれば、袁術の読み方は「えんじゅつ」で決まりかもしれませんね!?
さっそく「みち」と「みぞ」の違いについて考えてみました。
『周礼』「地官」「遂人」にこんな一文があります。
凡治野夫間有遂遂上有徑
十夫有溝溝上有畛
百夫有洫洫上有涂
千夫有澮澮上有道
萬大有川川上有路
以達于畿
原文引用元:漢籍電子文献資料庫 重刊宋本十三經注疏附校勘記/重栞宋本禮記注疏附挍勘記/地官司徒下/附釋音禮記注疏卷第十五/遂人
最終閲覧日:2020年9月2日
URL: http://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihpc/hanjiquery?@134^69608502^90^^^../hanjimg/hanji.htm
土地を治めるにはその場所の規模に応じて「みぞ」と「みち」を作るよ、というようなことが書いてある部分です。
この文章にある「遂」「溝」「洫」「澮」「川」は水を通すための「みぞ」、「徑」「畛」「涂」「道」「路」は「みち」です。
「みち」と「みぞ」は明確に区別されております!
『礼記』「月令」の「審らかに径術を端す」の「径術」は「みち」と「みぞ」だから「術」は「スイ」と読むかもしれませんが、袁術の「術」は「みち」だから、「月令」の「術」とは違うはずです。
こ、これは……とうとう「えんじゅつ」で決着なのでしょうか!?
ちょっと難しい漢文をいっぱい見過ぎて何を書いているのか分からなくなってきましたので、どなたか私が何を言っているのか分かった方はぜひ私に教えて下さい!
参考文献(紙):
大修館書店『大漢和辞典』縮写版 巻十 諸橋轍次 1967年11月20日
大修館書店『大漢和辞典』縮写版 巻十一 諸橋轍次 1968年1月20日
上海古籍出版社『三国志集解』陳寿 撰/裴松之 注/盧弼 集解/銭剣夫 整理 2009年6月
参考文献(WEBページ):
雲子春秋「袁術の読み方は「えんすい」?」
最終閲覧日:2020年9月1日
参照ページURL: https://chincho.hateblo.jp/entry/2019/01/24/220530
漢籍電子文献資料庫 重刊宋本十三經注疏附校勘記/重栞宋本禮記注疏附挍勘記/月令第六/附釋音禮記注疏卷第十四
最終閲覧日:2020年9月1日
URL: http://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihpc/hanjiquery?@134^69608502^90^^^../hanjimg/hanji.htm
漢籍電子文献資料庫 重刊宋本十三經注疏附校勘記/重栞宋本禮記注疏附挍勘記/地官司徒下/附釋音禮記注疏卷第十五/遂人
最終閲覧日:2020年9月2日
URL: http://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihpc/hanjiquery?@134^69608502^90^^^../hanjimg/hanji.htm
国学大師 説文解字 汲古閣本より「術」記載ページ
最終閲覧日:2020年9月1日
参照ページURL: http://www.guoxuedashi.com/kangxi/pic.php?f=swjzjg&p=112
国学大師 説文解字 汲古閣本より「遂」記載ページ
最終閲覧日:2020年9月1日
参照ページURL: http://www.guoxuedashi.com/kangxi/pic.php?f=swjzjg&p=104