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白馬を水に沈めるなんてかわいそう?毛宗崗本でカットされた満寵の逸話

西暦219年、かんが北に向かっての遠征を開始し、曹仁そうじんが守備していたはんじょうに攻め寄せた時のことです。
長雨で城が水びたしになり、ところどころ崩壊するしまつ。
樊城の守備隊は動揺し、城を捨てて逃亡することを考える者も出る事態となりました。
その時、満寵まんちょう曹仁に城を堅持するよう勧め、白馬を水に沈める儀式を行い将士たちと城を死守する誓いをたてました。
これは正史『三国志』満寵伝にある話ですが、歴史書を参照しながら書かれた歴史物語小説である『三国志演義』の新しい版本では白馬を水に沈めるくだりはカットされています。
その話は昔から『三国志演義』にはなかったのでしょうか?
古い版本と見比べてみました。

正史『三国志』満寵伝の記述

まずは正史『三国志』でどうなっているか見てみましょう。
満寵が曹仁に城を守りきるよう進言しているところから引用します。

「山水速疾,冀其不久。聞羽遣別將已在郟下,自許以南,百姓擾擾,羽所以不敢遂進者,恐吾軍掎其後耳。今若遁去,洪河以南,非復國家有也;君宜待之。」仁曰:「善。」寵乃沈白馬,與軍人盟誓。
引用元:中華書局『三国志』1982年7月 第2版
【訳】
「山の水は速く流れますから、長くはとどまらないでしょう。関羽は別将をきょう下に派遣しているそうです。許昌きょしょうから南では住民は混乱しております。関羽があえて進撃せずにいるのは、我が軍が背後にいることを恐れているためです。今もし我が軍が逃走すれば、洪河以南は我が国のものではなくなるでしょう。ここに留まるべきです」
曹仁「よし」
そこで満寵は白馬を沈め、軍の者たちと誓いを立てた。

満寵が、水はすぐ引くんだからここで踏ん張ったほうがいい、ここは関羽を牽制する重要な拠点だよ、と曹仁を説得したんですね。
曹仁はそれに納得し、満寵は白馬を水に沈める儀式を行って、将士たちと城を堅守する誓いをたてたという話です。
白馬は儀式のための生贄ですね。

現在普及している『三国志演義』毛宗崗本には白馬を沈める話がない

満寵の進言によって曹仁が水びたしの樊城を守る決意をするシーンは『三国志演義』七十四回にあります。
満寵の進言のあと、曹仁が城を守ると決めたところから見てみましょう。
三国志演義』の版本はいくつもありますが、現在普及しているもうそうこう本では下記のように書かれています。

仁拱手称謝曰:“非伯寧之教,幾誤大事。”乃騎白馬上城,聚衆将発誓曰:“吾受魏王命保守此城;但有言棄城而去者,斬!”諸将皆曰:“某等願以死据守!”
引用元:国学導航 毛宗崗批三国志 ※引用にあたり引用文の漢字を日本の当用漢字に改めました
最終閲覧日:2020年9月7日
参照ページURL: http://www.guoxue123.com/xiaosuo/jd/sgmp/075.htm

【訳】
曹仁は拱手して感謝しながら言った。
「伯寧(満寵)どのの教えがなければ大事を誤るところでした」
そこで白馬に乗って城に上り、諸将を集めて誓いをたてた。
「吾はおうの命を受けこの城を守る。城を捨てて逃げることを言う者があれば斬る」
諸将はみな言った。
「我ら死を以て城を守りまする」

曹仁が白馬に乗っていますが、水に沈めていませんね?

三国志演義』は歴史書をもとにして加工しているはずなので、古い版本では『三国志』のまんまかも!?

現在普及している『三国志演義』毛宗崗本では、お馬さんを水に沈めるのは可哀相だとでも思ったのか、 それとも誓いにいちいち動物を殺すのは非合理的だとでも思ったのか、理由は私には分かりませんけれども、白馬を水に沈める部分がありません。
曹仁が満寵の進言によって城を守り抜く決意をするくだりは歴史書をベースにして描かれていると思うので、もっと古い版本では歴史書の原型をより濃厚に残しているかもしれません。

早期の版本『三国志演義』嘉靖壬午本には白馬を沈める話がある!!

現存する『三国志演義』の版本の中で最も早期に刊行されたものと言われているせいじん本ではどうなっているか見てみましょう。

仁拱手称謝曰:“非伯寧之教,則誤大事也。”遂騎白馬上城,聚衆将而発誓曰:“吾受国家厚恩,委守此城,但有言棄城而去者,白馬為例!”言訖,斬白馬於水中。諸将皆曰:“願以死据守!”
引用元:国学導航 三国志通俗演義嘉靖壬午本 ※引用にあたり引用文の漢字を日本の当用漢字に改めました
最終閲覧日:2020年9月7日
参照ページURL: http://www.guoxue123.com/xiaosuo/jd/sgzyy/151.htm

【訳】
曹仁拱手きょうしゅして感謝しながら言った。
伯寧はくねい(満寵)どのの教えがなければ大事を誤るところでした」
そして白馬に乗って城に上り、諸将を集めて誓いをたてた。
「吾は国家の厚恩を受けこの城の守備を任された。城を捨てて逃げることを言う者があれば、この白馬のようになるぞ
言い終わると、白馬を水中に斬った
諸将はみな言った。
「我ら死を以て城を守りまする」

嘉靖壬午本には白馬を沈める部分がありますね!
正史『三国志』では誓いの儀式のための生贄だったのが、こちらでは諸将への見せしめのために「城を捨てるって言った奴はこの馬みたいになるぞ」と斬ったところが違いますが。

白馬を沈める話はどこで消えたのか?

現存する『三国志演義』の版本の中で最も早期に刊行されたものと言われている嘉靖壬午本には白馬を沈める話があり、現在普及している『三国志演義』毛宗崗本には白馬を沈める話がありません。
白馬を沈める話はどこで消えたのでしょうか?
毛宗崗本の底本だと言われているたく本を見てみましょう。

毛宗崗本の底本だと言われている李卓吾本には、白馬を沈める話がある!

現在普及している『三国志演義』毛宗崗本は、『三国志演義李卓吾本を参照しながらそれを改編して作られたと言われています。
李卓吾本に白馬を沈める話があるのかどうか、気になりますね!?
さっそく見てみましょう。

仁拱手称謝曰:“非伯寧之教,則誤大事也。”仁騎白馬上城,聚衆将発誓曰:“吾受国家厚恩,委守此城,但有言棄城而去者,以白馬為例!”言訖,斬白馬於水中。諸将皆曰:“某等願以死据守!”
引用元:巴蜀書社『三国演義』1993年11月 第1版 ※李卓吾本 ※※引用にあたり引用文の漢字を日本の当用漢字に改めました
【訳】
曹仁は拱手して感謝しながら言った。
「伯寧(満寵)どのの教えがなければ大事を誤るところでした」
曹仁は白馬に乗って城に上り、諸将を集めて誓いをたてた。
「吾は国家の厚恩を受けこの城の守備を任された。城を捨てて逃げることを言う者があれば、この白馬のようになるぞ
言い終わると、白馬を水中に斬った
諸将はみな言った。
「我ら死を以て城を守りまする」

李卓吾本には、白馬を沈める話がありますね。
ということは、白馬を沈める話を削ったのは毛宗崗本での編集ですね!!

毛宗崗本の改編意図は何か?

毛宗崗本ではなぜ白馬を沈める話が削られたのでしょうか。
理由を考えてみたところ、次の三つの仮説が思い浮かびました。

①白馬を沈めるのは可哀相だと思った
②儀式に生き物を殺すのは非合理的だと思った
李卓吾本では見せしめのために馬を斬って将士を震え上がらせて従わせたことになっているが、それより曹仁のカリスマで引っ張ったことにしたほうが話が盛り上がると考えた

私は③ではないかと想像しました。
実際どうなのかは分かりませんが!

まとめ

正史『三国志』満寵伝では、満寵が白馬を水に沈める儀式を行って、将士たちと城を堅守する誓いをたてています。
それが『三国志演義』嘉靖壬午本では、曹仁が諸将への見せしめのために白馬を斬って水に捨てたような描写になっていました。
その描写は『三国志演義李卓吾本でも同様ですが、李卓吾本を底本として改編された『三国志演義』毛宗崗本では、白馬を斬る描写も水に沈める描写もありません。
毛宗崗本の改編意図は分かりませんが、正史『三国志』満寵伝にあった水に沈められる可哀相な白馬の話は、毛宗崗本の改編によって姿を消したことが分かりました。
三国志演義』のいろんな版本の話は難しいですが、それぞれの描写の細かい違いを見比べながら編集した人の意図に思いを馳せてみることは楽しいですね!