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陳琳が檄文で曹操をけなした言葉「贅閹の遺醜」の贅閹とは?身売り同然の養子と宦官

かん末期、一大勢力を築いていた袁紹えんしょう曹操そうそうとの戦いを決意した頃のこと。
袁紹陳琳ちんりん檄文げきぶんを書かせて各地に送り、自分とともに曹操を討つよう訴えました。
その檄文では曹操の先祖を悪く言ったり曹操をずるい人のように言ったりとさんざん曹操をけなしており、特に「操贅閹遺醜(曹操贅閹ぜいえんの遺醜である)」というフレーズはパンチがきいており有名です。
贅閹の遺醜。えんは宦官を指しており、曹操の祖父曹騰そうとうが宦官であることをそしったものです。「宦官のような(当時の価値観では人のうちにも入らないような)存在の子孫であり存在そのものが恥ずかしい醜いウ〇コ」というような意味に見えます。
しかし「贅閹」という言葉は、宦官曹騰のことだけでなく、曹騰の養子である曹嵩そうすうのことも含んだ言葉です。
贅が曹嵩、閹が曹騰を指しています。
贅とはどういう意味でしょうか。
先日教えていただいたので、記事にまとめてみました。

「贅閹の遺醜」の出典

「贅」について考える前に「贅閹の遺醜」という言葉がどういう文脈で出てきたか見てみましょう。
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「贅閹の遺醜」が出てくる檄文は『三国志袁紹伝の注釈に引用されている『魏氏ぎし春秋しゅんじゅう』に載っています。
詩文集『文選もんぜん』にも載録されており、「為袁紹豫州文(袁紹のために豫州よしゅうげきす文)」という題名がついています。(巷では討曹檄文とも呼ばれています)
ここでは『三国志袁紹伝の注釈に引用されている『魏氏春秋』から、「贅閹の遺醜」の前後の部分を抜粋してみましょう。

司空曹操,祖父騰,故中常侍,與左悺、徐璜並作妖孽,饕餮放橫,傷化虐民。父嵩,乞匄攜養,因贓假位,輿金輦璧,輸貨權門,竊盜鼎司,傾覆重器。操贅閹遺醜,本無令德,僄狡鋒俠,好亂樂禍。
【訳】
くう曹操の祖父曹騰はもとは中常侍ちゅうじょうじで、かん徐璜じょこうとともに妖孽ようげつ(邪悪な災い)をなし、饕餮とうてつ(凶悪で貪食な怪物)のごとくほしいままに貪り、教化を傷つけ民を虐げた。
父曹嵩はこじきで宦官の養子となり、賄賂を使ってインチキに官位につき、金や宝石を車に積んで権門に運んで三公の位をかすめ取り、政治を傾かせた。
曹操は贅閹の遺醜で、もとより徳はなく、すばしっこくてわるがしこく勢いにまかせて人を凌いでいるならずもので、乱を好みわざわいを楽しむ者である。
原文引用元:漢籍電子文献資料庫 最終閲覧日:2021年2月25日
URL:http://hanji.sinica.edu.tw/

曹操けなすために、曹操のおじいさんとお父さんの悪口を書いているんですね。
祖父の曹騰は貪欲な宦官。
父の曹嵩は食い詰めて宦官の養子になり賄賂で位を盗んだ人。
そんな彼らの孫であり子である曹操は宦官と養子の残した醜いウ〇コで、徳なんかないのにずるがしこくて勢いがあるだけのならずもの。
だからみんな曹操に味方しないでこっちの味方になれよと言いたいのでしょう。

贅は身売り同然の養子、閹は宦官

「贅閹」の「贅」は曹嵩、「閹」は曹騰だということは分かりましたが、どうして「贅」が曹嵩を意味するのでしょうか。
「贅」の意味を調べてみると、説文解字に下記のような説明があります。

以物質錢从敖貝敖者猶放貝當復取之也之芮切

「以物質錢(物を以て銭に質す)」、つまり物を質に入れてお金に変えるという意味があるんですね。
陳琳の檄文で「曹嵩はこじきで宦官の養子となり」と書いてあったのは、曹嵩の家が貧しくて人身売買みたいにして養子に出されたということなのでしょう。

「贅」説文解字(汲古閣)画像国学大師より
画像:国学大師より説文解字汲古閣本の「贅」記載ページ

地位が低かった贅婿

檄文の中で曹操の父親は家が貧しくて養子になった人物だと言われていることは分りましたが、それが悪口になる理由がよく分かりませんね。
漢書かんじょ厳助げんじょ伝にある上書の中に下記のような一文があります。

數年歲比不登,民待賣爵贅子以接衣食
【訳】
数年凶作で、民は爵位を売り子を質に出して衣食をつなぐしかありません
原文引用元:漢籍電子文献資料庫 最終閲覧日:2021年3月27日
URL:http://hanji.sinica.edu.tw/

この部分に付いているがん師古しこの注釈に下記のようにあります。

如淳曰:「淮南俗賣子與人作奴婢,名為贅子,三年不能贖,遂為奴婢。」師古曰:「贅,質也。一說,云贅子者,謂令子出就婦家為贅壻耳。贅壻解在賈誼傳。」
【訳】
如淳じょじゅんいわく「淮南わいなんの習俗で子を売り人の奴婢とすることをぜいという。三年あがなう(金品を出して免れる)ことができなければ奴婢となる」
がん師古しこいわく「贅とは質のことである。一説に、贅子というのは子を婦人の家に出して贅婿ぜいせいにさせることである。贅婿の解説は賈誼かぎ伝にある」
原文引用元:漢籍電子文献資料庫 最終閲覧日:2021年3月27日
URL:http://hanji.sinica.edu.tw/

貧しい家の人が子供を質入れしたり、女性の家に婿に出したりするという状況があったようですね。
贅子は身柄を買い戻すことができなければ奴隷になったようです。
贅婿ぜいせいの解説は賈誼かぎ伝にあるそうですので、そちらも見てみましょう。
漢書』賈誼伝にある賈誼の上疏じょうその大略の一部に下記のような一文があります。

商君遺禮義,棄仁恩,并心於進取,行之二歲,秦俗日敗。故秦人家富子壯則出分,家貧子壯則出贅。
【訳】
商鞅しょうおうは礼儀を廃し仁恩を捨て、進取を旨とした。これを行うこと二年、しんの習俗は日に日に悪くなった。ゆえに秦の人は家が豊かなら子供が成長すれば分家し、家が貧しければ子供が成長すれば贅に出た。
原文引用元:漢籍電子文献資料庫 最終閲覧日:2021年3月27日
URL:http://hanji.sinica.edu.tw/

この部分に付いている顔師古の注釈に下記のようにあります。

應劭曰:「出作贅壻也。」師古曰:「謂之贅壻者,言其不當出在妻家,亦猶人身體之有肬贅,非應所有也。一說,贅,質也,家貧無有聘財,以身為質也。贅音之銳反。分音扶問反。」
【訳】
応劭おうしょういわく「贅壻になることである」
顔師古いわく「贅壻というのは、不当に妻の家に出ることを言う。人体に余分な肉のかたまりがあり、あるべきところにあるものではないようなものである。一説に、贅は質。家が貧しくて結納の財産がない時に身を以て質とすることである。贅の音は之鋭の反切。分の音は扶問の反切である」
原文引用元:漢籍電子文献資料庫 最終閲覧日:2021年3月27日
URL:http://hanji.sinica.edu.tw/

結納の金品が出せない場合に、身一つで奥さんのお家に転がり込むような形で婿入りすることを「贅婿」と言うようですね。
「身を以て質とする」とあるので、結納金代わりに身売りするというほうが近いかもしれません。
「贅婿」という言葉については、『漢書武帝紀の下記の一文にある「七科讁」(読みはシチカタクでしょうか?)についての注釈で言及されています。

四年春正月,朝諸侯王于甘泉宮。發天下七科讁及勇敢士,遣貳師將軍李廣利將六萬騎、步兵七萬人出朔方
【訳】
天漢てんかん四年正月、諸侯王を甘泉宮かんせんきゅうで引見した。天下の七科讁および勇敢の士を発し、弐師じし将軍こうを派遣して六万騎と歩兵七万人を率いて朔方さくほうに出征させた。
原文引用元:漢籍電子文献資料庫 最終閲覧日:2021年3月27日
URL:http://hanji.sinica.edu.tw/

この部分に付いている顔師古の注釈に下記のようにあります。「七科讁」についての解説です。

張晏曰:「吏有罪一,亡(人)〔命〕二,贅壻三,賈人四,故有市籍五,父母有市籍六,大父母有市籍七,凡七科也。」
【訳】
張晏ちょうあんいわく「官吏で罪がある者が一、亡命者が二、贅婿が三、商人が四、もともと市籍(商人の戸籍)にあった者が五、父母が市籍にあった者が六、祖父母にが市籍にあった者が七。すべてで七科である」
原文引用元:漢籍電子文献資料庫 最終閲覧日:2021年3月27日
URL:http://hanji.sinica.edu.tw/

「七科讁」は、いざさいはての地まで遠征だとなった時に真っ先に動員されてしまうような、ふつうの良民よりも地位の低い人たちに関する制度だったようです。
前科のある官吏、亡命者がそうであるのは分かりますが、贅婿や商人もカタギではない扱いだったようですね。

長々と書いてきましたが、「贅」と言われれば「贅婿」を連想できるものであり(※)、「贅婿」はカタギの身分ではないと見なされていたらしいと分かりました。
とすると、曹操の父親が養子であることを「贅」という言葉で表現することは、はっきりと悪口ですね!
※『漢書』賈誼伝の注釈で「贅」という言葉に「出作贅壻也(贅婿になることである)」と言っていた応劭は曹操や陳琳と同時代人です。

養子と宦官の残した醜いウ○コ

「贅閹の遺醜」という言葉は養子と宦官の残した醜い存在という意味で、曹操の父が養子で祖父が宦官であることをタネにして曹操をけなした言葉です。
「贅」という言葉からは罪をおかした官吏や亡命者と並ぶようなカタギではない地位を連想できますし、「閹」で表現される宦官は子孫を残すことのできない存在であるため、子孫を残して祖先の祭祀を絶やさないことが重要な徳とされていた時代においては侮蔑の対象でした。
陳琳は「贅閹遺醜」という四文字で、曹操のことを出自のいやしいろくでなしのように読み手に印象づけたのですね。

曹操と陳琳のその後

袁紹のために曹操をけなす檄文を書いた陳琳ですが、袁紹は敗れ、陳琳は曹操の配下となりました。
三国志王粲おうさん伝に曹操が陳琳に言った言葉が載っています。

「卿昔為本初移書,但可罪狀孤而已,惡惡止其身,何乃上及父祖邪?
【訳】
「きみは以前本初ほんしょ(袁紹)のために文書を書いたが、私のことだけをあげつらうべきだったのだ。悪を憎んでもその一身にとどめるべきである。どうして父や先祖にまで及ぼすのか」
原文引用元:漢籍電子文献資料庫 最終閲覧日:2021年3月28日
URL:http://hanji.sinica.edu.tw/

この言葉のあとに地の文で「琳謝罪,太祖愛其才而不咎」と続きます。
陳琳は謝罪し、曹操は陳琳の才を愛してお咎めなしにしたそうです。
「贅閹の遺醜」とまで言われたのに水に流しちゃう。
ちょっといい話ですね?

まとめ

「贅閹の遺醜」という言葉は養子と宦官の残した醜い存在という意味で、「贅」も「閹」も人並みにはみなされない存在でした。
自分のことを言われるだけならまだしも親や祖先のことを貶して悪口を言うとはひどいなぁと曹操も思った様子ですが、陳琳の才を愛してお咎めなしにしたという話。
たった四文字で曹操にダメージを与える言葉を紡いだ陳琳の文才と、才を愛する曹操の人柄が垣間見える話でしたね。

「贅閹の遺醜」の「贅」とは何かということについては、ツイッターで「贅って何だろう?」というツイートをした時に河東竹緒さんから示唆をいただきました。
河東竹緒さんツイート
「贅子」「贅婿」という存在がどういうものであるか掘り下げて考えようと思えば事例を調べなければ分からないと思いますが、今日のところは「贅」が曹操のお父さんのことを指した悪口であることまでの理解で了であります。
河東さん、ご教示ありがとうございました!