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曹丕から罪を許された時の曹洪のへりくだり方がスゴイ!

曹操そうそうのピンチに馬を譲ったり、兵隊を集めたり兵糧を集めたりと、ナイスアシストが目立ち、魏の頼れるキャラクターっぽい曹洪そうこう
財産が好きだったり女性が好きだったりするイメージもあり、おちゃめな一面もございます。
曹洪が法を犯して文帝ぶんてい そうから処刑されると思っていた時に、処刑を免れて喜んで曹丕に送ったという手紙が史書に残っているのですが、その手紙の口ぶりがあまりにもへりくだり過ぎでなんだか可愛らしいのでご紹介したいと思います。

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むかし曹丕への借金をしぶったことがある曹洪

曹洪のその手紙は『三国志曹洪伝の注釈に引用されている『りゃく』に載っています。
まずは手紙を送るまでの経緯を見てみましょう。

文帝在東宮,嘗從洪貸絹百匹,洪不稱意。及洪犯法,自分必死,既得原,喜,上書謝曰:
【訳】
文帝が東宮(皇太子の居所)にいた頃、曹洪から絹百匹を借りようとしたことがあったが、曹洪曹丕の思う通りにはしなかった。
曹洪が法を犯すに及び、曹洪は自分がきっと死刑になるだろうと思ったが、許されたため、喜んで上書して感謝を述べた。

曹丕が皇太子だった頃、絹(当時は絹はお金代わりに使われました)百匹を曹洪に借りようとしたが、曹洪はそんなにたくさんは貸せませんよとでも言って冷たくあしらったのでしょう。後に法を犯した際、あそこで恨まれているからきっと死刑だろうなぁと自分で思ったんですね。ところが許されたので、喜んで手紙を書いた、と。
これより前の文章で、曹操が「うちの財産がれん(曹洪)と同じなはずがない」と言ったとも書かれているので、曹洪は財産家だったということでしょう。
皇太子時代の曹丕がお金に困った時に、財産あるのに借金をしぶった親戚のおじさんなわけですから、曹洪が自分は曹丕に恨まれていると思ったのはもっともですね。

すさまじいへりくだりの手紙!

さて、むかし借金をしぶって恨まれているから絶対死刑だ! と思っていたのに許されたから、喜んで書いたという曹洪の手紙です。

臣少不由道,過在人倫,長竊非任,遂蒙含貸。
【訳】
私は若い頃には非道で、人間の仲間でいることが間違いであり、成長してからは任務にふさわしくない役職泥棒ですのに、むやみにご寛恕いただきました。

のっけからすごいへりくだり方ですね。人間の仲間でいることが間違い。役職泥棒。

性無檢度知足之分,而有豺狼無厭之質,老惛倍貪,觸突國網,
【訳】
無軌道な性分で足ることを知らず、やまいや狼のごとき無節操で、耄碌もうろくしてますます貪欲になり、国の法規をおかしてしまいました。

ひたすらへりくだっていますね。無軌道、足ることを知らない、やまいや狼のごとき無節操、耄碌、貪欲。
何かしでかした時に、自分で自分の頭をポカポカ叩きながら「ばかばかばか、オレのばかー!」って言いながら謝る人のような感じですね?

罪迫三千,不在赦宥,當就辜誅,棄諸市朝,猶蒙天恩,骨肉更生。臣仰視天日,愧負靈神,俯惟愆闕,慚愧怖悸,不能雉經以自裁割,謹塗顏闕門,拜章陳情。
【訳】
罪は三千に迫り、許される次元ではなく、誅殺されて市にさらされるべきですのに、むやみに天恩をたまわり、生き返った思いです。
天の日を仰ぎ見ては神霊にじ、伏して過ちを思ってはざんに恐れおののき、首をくくって死ぬこともできず、つつしんで宮門に伏し、上書して情をべます。

死刑になるはずなのに許されちゃった、恥ずかしい! 穴があったら入りたいけどとりあえず宮門に叩頭こうとうして上書して気持ちを伝えます! といった感じでしょうか。

まとめ

この手紙のなりふりかまわぬ自己批判っぷりはすさまじいですね。
よほど曹丕が怖かったのでしょうか。
悪いおじちゃんを許してくれてありがとう、ありがとう! って泣きながら感謝しているような文章だと思いました。
この手紙を「こんなにへりくだっちゃって曹洪さん可愛いな。クスッ♡」と思うべきか、「曹丕に睨まれたらなりふり構わず謝罪しないと生きた心地がしなかったろうな」としんみり受け止めるべきか、私の中ではいまだ解釈に迷っております……。

原文引用元:中華書局『三国志』1982年7月 第2版