MENU

「出師の表を読んで涙をおとさない者は不忠」の出典は?

しょくに政権を立てた劉備りゅうびが亡くなり、後事を託された諸葛亮しょかつりょう
敵国 と戦うために都を離れる際、皇帝 劉禅りゅうぜんに奉った文章「すいの表」は、北伐ほくばつに向かう決意と劉備劉禅親子への忠心が表れた名文として知られ、「出師の表を読んで涙をおとさない者は不忠」と言われています。

……う~ん、確かに「出師の表」は名文ですが、私にはどうも泣くポイントが分からないのですよね。
私とはずいぶんセンスの違う方が言い出した言葉なんでしょうか。
ところで一体どなたの言葉なのでしょうか? ということで、
本日は「出師の表を読んで涙を堕さない者は不忠」の出典を調べてみました!

「涙を堕さざる者はその人必ず不忠」出典は『賓退録』に引用されている安子順の言葉

出師の表を読んで泣かない者は不忠。
これは南宋なんそう文人 あん子順しじゅん(1158~1227)の言葉であるようです。
宋のたい ちょう匡胤きょういんの七世代下の子孫であるちょう与時よじ(1172~1228)の著書『賓退ひんたいろく』巻九に下記のような形で記されています。

【原文】
諸葛孔明出師表而不墮淚者其人必不忠讀李令伯陳情表而不墮淚者其人必不孝讀韓退之祭十二郎文而不墮淚者其人必不友青城山隱士安子順世通云
原文引用元:中国哲学書電子化計画 賓退錄 巻九
最終閲覧日:2020年5月25日
参照ページURL: https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=922803

【訓読文】
「諸葛孔明こうめいの出師の表を読みて涙を堕さざる者はその人 必ず不忠、令伯れいはく陳情ちんじょうの表を読みて涙を堕さざる者はその人 必ず不孝、かん退たい十二郎じゅうにろうを祭る文を読みて涙を堕さざる者はその人 必ず不友」
青城山せいじょうざんの隠士 安子順のつうに云う

この言葉が記されている『賓退ひんたいろく』は、趙与時のお気に入りのフレーズ集です。
序文によれば、趙与時が来客とお話しをした時に気に入った言葉をお客の帰った後にメモしておいたものがまとまった量になったので、十巻の本にまとめて『賓退録』と名付けたそうです。

上に引用した安子順の言葉も趙与時のお気に入りなんですね。
引用の最後の「安子順のつうに云う」という部分がよく分かりませんが、安子順が『世通』という本を書いていて、お客さんがその中のフレーズを趙与時に紹介したのでしょうか。(「世通」の部分の意味が未確認です)

安子順が讃えた三つの文章

『賓退録』に引用されている安子順の言葉は三つの文章を讃えています。
これを読んで泣かない者は〇〇、という形で、〇〇の塊みたいな文章を紹介しています。

忠:出師の表(諸葛亮
孝:陳情の表(みつ
友:十二郎を祭る文(かん

忠、孝、友情。いずれも南宋たいには大事な徳であったことでしょう。
安子順は、清少納言の「春はあけぼの……、夏はよる……」のような感じで、忠の名文は出師の表孝の名文は陳情の表友情の名文は十二郎を祭る文、と言いたかったのでしょう。

ここに挙げられているのはいずれも過剰な装飾がなく文意が明確で、書き手の真心まごころがよく表れた文章です。
安子順は文飾ばかりで心の籠もっていない薄っぺらな文章が嫌いだったのかもしれませんね。
安子順が亡くなる前年に生まれたしゃ枋得ほうとくという人が編纂した『文章ぶんしょうはん』という本があり、この本は官吏採用試験であるきょの受験勉強の参考書として愛読されていました。
そこに載録されている文章も過剰な装飾がなく文意が明確な傾向があります。
当時の士大夫にとってはそういう文章が讃えるべき文章であったのでしょう。

現代の日本人も「出師の表」を読んで泣かなきゃダメですか?

だい十国じっこく時代に書かれた歴史書唐書とうじょ』と北宋の時代に書かれた歴史書しん唐書とうじょ』はいずれも唐王朝の歴史を記したものですが、両者を読み比べると、同じ出来事を記すにしても、『新唐書』のほうが「忠」という徳目を強調しながら書かれています。
これは、宋が国家による集権体制を強化するために、「忠」を推奨する政策をとっていたことの表れです。
このように、宋の時代には「忠」が非常に重視されていました。

「出師の表を読みて涙を堕さざる者はその人 必ず不忠」と言ったのは南宋文人 安子順です。
南宋の時代なら、そりゃまあ忠は大事だったことでしょう。
不忠なやつは人でなし、忠にあふれた出師の表を読んで泣かないやつは人でなし、というくらいのプレッシャーがあったとしても不思議ではありません。
しかし、社会体制や価値観の異なる現代の日本人である私は、必ずしも「出師の表」を読んで泣かなくってもいいのではないでしょうか……?

まとめ

「出師の表を読みて涙をおとさざる者はその人 必ず不忠」という言葉が記されているのはそうたい ちょう匡胤きょういんの七世代下の子孫 ちょう与時よじ(1172~1228)の著書『賓退ひんたいろく』で、それは南宋なんそう文人 あん子順しじゅん(1158~1227)の言葉でした。
「忠」が重視されていた宋の時代においては「出師の表」を読んで泣けない者は人でなしだったかもしれませんが、価値観の異なる現代人は「出師の表」で泣けなくても大丈夫だと思います!

参考:百度百科「安子顺」https://baike.baidu.com/item/安子顺、「赵与时」https://baike.baidu.com/item/赵与时 最終閲覧日:2020年5月25日