MENU

陳琳に代筆させた手紙を自分が書いたと言い張る曹洪がキュート♡「為曹洪与魏文帝書(曹洪のために魏の文帝にあたうる書)」【全訳】

曹操そうそう董卓とうたく軍との合戦に敗れた時のこと。
馬を失ってしまい、追っ手がまさに迫ろうとしている時、馬を下りて曹操に馬を譲る人物がいました。その名は曹洪そうこう
「天下に曹洪はいなくてもよいが、あなたはいなくてはならない」

……かっこいいですね?
このかっこいいエピソードがよく知られている曹洪ですが、自分が書いたと言い張った手紙が名文家として知られる陳琳ちんりんによる代筆だとしっかりバレてしまっているというおちゃめな一面もございます。

『文選』に載っている「為曹洪与魏文帝書(曹洪のために魏の文帝にあたうる書)」

中国の南北朝時代りょうで編纂された『文選もんぜん』は、中国でも日本でも名文のお手本とされてきた詩文集です。
その『文選』に曹洪から文帝ぶんてい そうに宛てた手紙が載録されています。
題名は「為曹洪与魏文帝書(曹洪ために魏の文帝にあたうる書)」
作者は陳琳ちんりんとなっています。
陳琳は建安けんあんしちの一人で、文章の名人として知られていますね。
「為曹洪与魏文帝書」は陳琳が曹洪のために代筆した曹丕宛ての手紙です。
代筆をさせるのは恥ずかしいことではありませんが、この手紙の中で曹洪は、陳琳の代筆ではないよとか自分は文章が上手くなりましたとか言っているので、なんとも面白いことになっております。

曹丕からもらったお褒めの手紙に対する返信

曹洪から曹丕への手紙ですが、どんな内容なのでしょうか。
さっそく読んでみましょう。

十一月五日、洪白、前初破賊、情奓意奢、說事頗過其實。得九月二十日書、讀之喜笑、把玩無厭。亦欲令陳琳作報。琳頃多事、不能得爲。念欲遠以爲懽。故自竭老夫之思。辭多不可一一、粗舉大綱、以當談笑。
【訳】
十一月五日、曹洪が申し上げます。
以前に賊を破った際には鼻が高く、実際よりおおげさに言っておりました。
九月二十日のお手紙を見て、喜びに笑い、飽かずにもてあそんでおります。
陳琳に返事を書かせたいと思いましたが、陳琳はこのところ忙しく、書くことができません。
遠く喜びを通わせたいので、老夫の思いを自らしたためます。
言いたいことは多く一つ一つ書くことはできませんが、ざっくりと大綱をあげて談笑にあてることといたします。

9月20日付けで曹丕から曹洪に手紙を送っていたようです。
その手紙で曹洪は戦いの功績を褒められたようで、嬉しくて曹丕の手紙を飽かずに眺めているようですね。
曹洪の手紙はそれへの返事で、おしゃべりしたいこといっぱいありすぎて書き切れないけど書きますね、というテンションのようです。
陳琳に代筆をさせようとしたけど彼が忙しいから自分で書いてみた、ということのようですが、この手紙、『文選』に「為曹洪与魏文帝書 陳琳」で載っているんですよね(笑)

「私の手柄ではありません。官軍に徳があったから簡単でした」

曹洪が何の戦役の功績を褒められたのかはよく分かりませんが、この先の文章から推測すると、漢中かんちゅうに地盤を築いていたちょう曹操軍が降伏させた時の話であるようです。

漢中地形、實有險固、四嶽三塗、皆不及也。彼有精甲數萬、臨高守要、一人揮戟、萬夫不得進。而我軍過之、若駭鯨之決細網、奔兕之觸魯縞。未足喩其易。
【訳】
漢中の地形は実に険固であって、がくさんもあの険しさには及びません。向こうにはかぶとを装備した精兵が数万あり、高所に臨んで要害の地を守っており、一人がげきふるえば万夫も進むことを得ないありさまです。しかるに、我が軍がここを通過することは、驚いたくじらが細い網を裂くがごとく、奔走する牛がの薄絹を突き破るごとしであると言っただけではその容易さをたとえるに足りないほど、いともたやすいことでした。

曹丕から褒められたことへの返事ですから、確かに漢中は攻めにくい土地でしたが私はそんなに苦労したわけではないんですと謙遜したいようです。

この文章の中にある「一人げきふるえば万夫も進むを得ず」というフレーズは、後代、はくの「蜀道難しょくどうなん」やたきれんろうの「箱根八里」に「いっ関に当たれば万夫も開くなし」という形で取り入れられていますね。
続きを読みましょう。

雖云王者之師、有征無戰、不義而強、古人常有。故唐虞之世、蠻夷猾夏、周宣之盛、亦讎大邦。
【訳】
王者の軍に征伐はあっても戦いはないというものの、不義にして強いということはいにしえにはいつもありました。ゆえにぎょうしゅんの世にはばんが中華を乱し、しゅう宣王せんのうの盛時にも国にあだをなしたのです。
詩書歎載、言其難也。斯皆憑阻恃遠。故使其然。是以察茲地勢、謂爲中才處之、殆難倉卒。
【訳】
詩経しきょう書経しょきょうにも賊の討伐の難しさをたんじております。これはすべて賊がけんにたより遠いことをたのみとしているためであります。地勢からすれば、並みの人物がいるだけでもほとんど無理なのです。

さっきは漢中遠征なんていともたやすいことでしたと言っていたのに、ここでは賊が険阻な土地にたてこもっていたら征伐なんてほとんど無理と言っていますね。
どういうことでしょうか。

來命、陳彼妖惑之罪、敍王師曠蕩之德、豈不信然。是夏殷所以喪、苗扈所以斃、我之所以克、彼之所以敗也。不然、商周何以不敵哉。
【訳】
いただいたお手紙では張魯が妖言をもって人を惑わした罪と官軍の広大な徳が述べられていましたが、実にその通りです。
これがいんが滅び、有苗ゆうびょう氏やゆう氏がたおれたゆえんであり、我々が勝ち張魯が敗れたゆえんであります。
そうでなければどうして周がしょうを圧倒することができたでしょうか。

張魯には妖言をもって人を惑わした罪があり、官軍には広大な徳がある。
徳があるほうが勝つのは当たり前ですよ! だから私の手柄ではありません!と言いたいようですね。
要は、曹丕の手紙で褒められたことに対する謙遜の文章です。

要約すると、張魯に勝つのは簡単でした、しかし張魯は要害に籠もっていたから勝つのは無理ゲーだったんですよね、でも張魯に罪があり官軍に徳があったから簡単に勝ちました、私の手柄ではありません、ということです。

張魯が無能で人材もなかったから苦労しませんでした」

先程までの文章では、張魯を倒すのは難しいことのはずでしたが官軍に徳があったから勝てましたと言っていました。
ここからは、張魯は大した敵ではなかったと述べ、私の手柄ではありませんという謙遜をさらに強調する文章になります。

昔鬼方聾昧、崇虎讒凶、殷辛暴虐。三者皆下科也。然高宗有三年之征、文王有退脩之軍、盟津有再駕之役。然後殪戎勝殷、有此武功焉。
【訳】
むかし西北の異民族は蒙昧もうまいであり、すうはよこしまで人をそしる凶悪な人物であり、殷の紂王ちゅうおうは暴虐で、三者とも下等な者でした。
それでも高宗こうそうは征伐に三年かかり、文王はいったん軍を撤収することになり、武王は盟津めいしんで再結集し、そのようにしてようやく異民族をたおし殷に勝ち武功をたてることができました。

この部分は、下等な者を徳ある者が伐つにも苦労はあるものだという例です。
続きを読みましょう。

焉有星流景集、飆奪霆擊、長驅山河、朝至暮捷、若今者也。 由此觀之、彼固不逮下愚。則中才之守不然明矣。
【訳】
今回のように、星が流れ光が集まりつむじ風が吹き荒れ雷が打つごとく山河を長駆ちょうくし、朝にやって来ればゆうべには勝つことがあったでしょうか。
これをかんがみるに、張魯はもともと下愚にも及ばない者だったのであります。
ふつうの能力の者が守っていたならこうはいかなかったことは明かです。

さっきは高宗や文王・武王でも苦労をしたと書いていましたが、ここでは自軍の快進撃を書いています。張魯が大したことない者だったから快進撃できたのです、私の手柄ではありません、と謙遜したいようです。

而來示乃以爲、彼之惡稔、雖有孫田墨氂、猶無所救。竊又疑焉。何者古之用兵、敵國雖亂、尚有賢人、則不伐也。是故三仁未去、武王還師、宮奇在虞、晉不加戎。季梁猶在、強楚挫謀。暨至衆賢奔絀、三國爲墟。明其無道有人、猶可救也。
【訳】
お手紙にはこうありました。張魯は悪さが積み重なっており、そん田単でんたん墨翟ぼくてききんかつがいたとしても救うことができない、と。
私はひそかに疑います。なぜならば昔の戦は敵国が乱れたとしてもまだ賢人がいるのであれば伐たなかったものです。三人の仁者が残っていたため武王は軍を引き、宮奇きゅうきにいたためしんは攻めませんでした。季梁きりょうがまだいたため、強いはかりごとをやめました。
賢人たちが国を捨てるにいたり、三国は廃墟になりました。
無道であっても人物がいればまだ救うことができることは明らかです。

これも謙遜の文章ですね。張魯のところには人材がいなかったので勝てただけです、私の手柄ではありません、という意味でしょう。

且夫墨子之守、縈帶爲垣、高不可登、折箸爲械、堅不可入。若乃距陽平、據石門、攄八陣之列、騁奔牛之權、焉肯土崩魚爛哉。設令守無巧拙、皆可攀附、則公輸已陵宋城、樂毅已拔即墨矣。墨翟之術何稱、田單之智何貴。老夫不敏、未之前聞。
【訳】
ぼくの守備は帯をめぐらせて垣根とすれば高くて上ることができず、はしを折って城にすれば堅固で入ることができませんでした。
もし張魯陽平関ようへいかんに立てこもり、石門せきもんり、八陣の列をしき、奔牛ほんぎゅうの勢いを利用したとすれば、どうして自滅することがあったでしょうか。
もし守備に巧拙などなく、誰でも城壁にとりつくことができるのだとすれば、こうばん宋城そうじょうを落とすことができたでしょうし、がっ即墨そくぼくを取ることができたでしょう。どうして墨翟ぼくてき(墨子)の術を讃えたり、田単でんたんの智を貴しとすることがありましょうか。
老夫(わたし)はかつにして、そういう話を聞いたことはありません。

これも謙遜の文章です。張魯の守備が下手だったから勝てただけです、私の手柄ではありません、と言っているようです。

曹洪のこの手紙は、曹丕からのお褒めの手紙に対する返信で、褒めすぎです、勝つべくして勝ったのです、と謙遜する趣旨ですね。
手紙の用件はこれで終わりで、あとは結びの言葉になります。

「私は文章が上手くなりました。代筆ではありません!」

蓋聞、過高唐者、效王豹之謳。遊睢渙者、學藻繢之綵。間自入益部、仰司馬楊王遺風、有子勝斐然之志。故頗奮文辭、異於他日。
怪乃輕其家丘、謂爲倩人。是何言歟。
【訳】
高唐こうとうを通る者は王豹おうひょううたにならい、睢渙すいかんに遊ぶ者は藻繢そうかいさいに学ぶと聞きます。
私は益州えきしゅうに入ってより、司馬しば相如しょうじょ楊雄ようゆう王褒おうほう(いずれも益州出身の名文家)の威風をあおぎ、子勝ししょうの文彩の志を抱いております。
このため、すこぶる文辞をふるうようになり、かつてとは文章のおもむきがことなっております。
こうが東家のきゅうと呼ばれて軽んじられていたように、私が人を雇って書かせたかのようにお思いのようですが、一体何を言ってくれちゃっているんですか!

この手紙をご覧になって、別人が書いたみたいにった文章だとお思いになったことでしょう。ところがどっこい、私は益州に入ってから文章を研究し始めたんですよ!
代筆じゃないってば!
と言いたいようです。

夫綠驥垂耳於林坰。鴻雀戢翼於汚池。褻之者、固以爲園囿之凡鳥、外廄之下乘也。及整蘭筋、揮勁翮、陵厲清浮、顧盼千里。豈可謂其借翰於晨風、假足於六駮哉。恐猶未信丘言、必大噱也。洪白。
【訳】
緑騎りょっきは耳を林坰りんけいに垂れ、鴻雀こうじゃくは翼を汚池におさめます。
見慣れている者はこれを庭園のなんでもない鳥やうまやのたいしたことない馬だと思いこんでいることでしょう。
しかし蘭筋らんきんを整え、強い翼をふるい、天空をしのぎ千里を眺め渡すところを見れば、はやぶさに羽を借り六駮りくはくに足を借りたと思うでしょうか?
とはいえまだ虚言を信じず、きっと大笑いなさるのではないかと恐れております。曹洪、敬白。

原っぱでぼんやりしている駿馬や汚い池でぼんやりしている醜いアヒルの子(?)を見て、なんでもない馬や鳥だと思っていても、飛んだり走ったりするところを見れば、それが実力だったって分かりますよね? 私だって本気だせばこのくらいの文章書くんですよ! と言っても信じてくれないで大笑いされそうで、心配ですなぁ。曹洪より。
……なんともまあ、可愛らしい結びの言葉ですね!

代筆疑惑があるのに「自分が書いた」と言い張っている

以上で「為曹洪与魏文帝書(曹洪ために魏の文帝にあたうる書)」は終わりです。
この手紙の面白いところは、代筆ではないと書いてあるにもかかわらず、しっかり「為曹洪与魏文帝書 陳琳」と代筆がバレているところです。

文章の最後のほうで「謂爲倩人(私が人を雇って書かせたかのようにお思いのようですが)」と言っているということは、この手紙よりも前に、すでに「曹洪、文章うますぎるじゃん。代筆じゃないの?」という疑惑の目を向けられていたということですね。
それを受けて、冒頭でわざわざ「琳頃多事、不能得爲(陳琳はこのところ忙しく、書くことができません)」と書いて、代筆じゃないもん!自分で書いたもん!文章上手になったんだもん!! と言い張り、しかもそれが「やっぱり陳琳の代筆じゃないかwww」としっかりバレてしまっているなんて、曹洪さん、可愛すぎますよ!

それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?

陳琳がこれを書いたとすると、不自然に上手すぎる文章を書いておきながらすっとぼけて「文章が上達しました!」とバレバレの説明を添えているのは、冗談でやっているのではないかとも思えてきますね。
こんなやりとりを想像してみても面白いと思います。

曹洪「ねぇ陳琳~、また手紙の代筆をお願いしたいんだけど、最近『あんたが書いた文章にしては上手すぎる』って馬鹿にされるんだよ~。なんとかバレないように書いてくれないかな」
陳琳「かしこまりました」
(明らかに上手すぎる文章に「文章上達したんです」とバレバレすぎる言い訳を添える)
陳琳「これでいいですか」
曹洪「なんじゃこりゃ! だめ! バレバレすぎる! いやぁ~、これ逆に面白いな。よっしゃ、このまま送ろっと。ちょっと笑いがとれたらオイシイよね♬」
※私が勝手に想像した会話です

陳琳が「バレないように代筆ってなんだよ面倒くせぇなぁ。わざとバレバレに書いてやろう。表面上は代筆疑惑を否定するような文言も添えつつ微妙にバレるように……」という密かな反発心を込めてこの文章を書いたとしたら面白いですし、無茶ぶりに対する陳琳の反発が込められた文章を見た曹洪が「こりゃまいったなぁ。一本とられたよ」と思いながらそのまま手紙を送ったとしたら、これもまた面白いです。

まとめ

「為曹洪与魏文帝書(曹洪ために魏の文帝にあたうる書)」は、曹洪が書いたと言い張っているのに陳琳の代筆であることがばれている面白い文章でした。
曹洪が本気で代筆疑惑を否定できるつもりでこれを送ったのだとしたら曹洪はなんともおめでたい人のようで可愛らしいですし、代筆疑惑をギャグにしてしまおうというつもりで送ったのだとしたら、ちょっとユーモアのある人ですね。
こういう手紙から歴史上の人物の人柄をしのぶことができるのは面白いと思いました。

余談ですが、「若駭鯨之決細網 奔兕之觸魯縞(驚いたくじらが細い網を裂くがごとく、奔走する牛がの薄絹を突き破るごとし)」や「星流景集 飆奪霆擊(星が流れ光が集まりつむじ風が吹き荒れ雷が打つごとく)」のような華麗な装飾を重ねる文章は、この時代の流行りの名文の見本として受け取ってもいいと思います。
この手紙の中の「一人揮戟 萬夫不得進(一人げきふるえば万夫も進むを得ず)」という表現が李白の「しょくどうなん」や滝廉太郎の「箱根八里」にリサイクルされているのも面白いですね。
文学的観点からも面白い手紙だと思います!

原文引用元・参考文献:明治書院 新釈漢文大系83『文選(文章篇)中』竹田晃 1998.7.30