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『呉書三国志』レビュー:呉が主役で水滸伝ばりのノリノリ三国志小説!作者はルドルフとイッパイアッテナの斉藤洋

「『三国志』だからといって、なにがなんでも、劉備諸葛しょかつ孔明こうめいを中心にしなければならないということは、ないわけです」

これは小説『しょ三国さんごく』の巻末にある言葉です。
『呉書三国志』はNHK Eテレ「テレビ絵本」でおなじみの「ルドルフとイッパイアッテナ」の原作者 斉藤さいとうひろしさんによる、を中心とした三国志小説です。
三国志では呉推しだという方や「ルドルフとイッパイアッテナ」が好きだという方にはちょっとワクワクしちゃう本ですよね?
ということで、ベンツが買えるくらいのお金を三国志に貢いできた雑食性サンゴクサーの私が『呉書三国志』を読んでみた感想です。

呉書三国志表紙画像
『呉書三国志』(斉藤洋講談社/2019.3.26)表紙

呉が中心のオリジナル(?)小説

そもそも「三国志」とは何ぞやという話なんですが……
まず中国がしょくの三つに分かれていた時代とその前後について記した歴史書の『三国志』がありますね。
その頃の歴史を題材とした創作作品群も広義では「三国志」になると思います。
日本でよく普及しているのは吉川よしかわえいの小説や横山よこやま光輝みつてるの漫画に代表されるような、中国だいしょの一つ「三国志えん」がベースとなっている三国志物語だと思います。これは蜀を中心としたストーリーになっており、劉備りゅうびかん張飛ちょうひ諸葛亮しょかつりょう姜維きょういらが主役級の人物となっています。
王欣太きんぐごんたの漫画「蒼天そうてんこう」も人気がありますね。これは魏の礎を築いた曹操そうそうが主人公です。
では呉を中心とした三国志物語はと言うと、吉川・横山や「蒼天航路」までの知名度のあるものは……ゴニョゴニョ……ということで、斉藤洋さんの『呉書三国志』がブレイクしてくれたらいいなぁ!(←願望)

『呉書三国志』は大まかな流れは「三国志演義」に沿っているものの、登場人物のキャラクターや行動は独自に作り込まれています。
キャラクターの思考や行動が物語を推進する中心となっているため、ほとんどオリジナル小説と言ってよさそうな雰囲気です。
特に蓋黄こうがいたいは派手な人物造形で、『すいでん』のような趣があり楽しく読めるつくりになっています。

平易な文章と楽しませる進行でさりげなく三国志知識もインプット

『呉書三国志』は非常に読みやすく、面白いです。
童話作家として知られる斉藤洋さんがお書きになっているためか、漢字には丁寧にふりがなが振られており、小学校五年生くらいでもストレスなく読めそうな平易な文章で書かれています。
愛嬌のある登場人物がコメディのように動いてストーリーを進めてくれるので、なにこの人かわいい、おもしろーい、と思いながら楽しく読み進めることができます。
斉藤洋さん独特のしゃれた言い回しや人間観もあり、平易でありながら大人が読んでも読み応えがあります。
また、分かりやすい進行の中で三国志知識もさりげなくインプットする工夫がなされています。
例えば、歴史書のほうの『三国志』で孫堅そんけんの血筋について「けだそんの後なり(おそらく孫武の子孫であろう)」という記述がありますが、そのことを斉藤洋『呉書三国志』では会話文の中で「孫さんのご先祖の中にはそんっていうえらい人がいたくらいで」とさりげなく紹介しています。

三国志を読もうと思ったけど難し漢字がたくさん出てくるし覚えることも多くて挫折した! という方は少なくないですが、ぜひ『呉書三国志』に出会っていただきたい……
何の前提知識もなくても楽しみながら三国志の世界に入っていけますよ♪

まさにエンタメ! 水滸伝のような派手な描写

『呉書三国志』では個性的で愛嬌のある登場人物が派手なアクションをしてくれるので、『水滸伝』のような面白さがあります。
最も目立っているのは黄蓋で、横山光輝「三国志」張飛のようなマスコットキャラクターになっています。

「だが、どうして都からの使いが出陣を要請しにきたとわかったのだ。」
 程普がつっこむと、黄蓋は頭をかいて、だまって下をむいた。
「おまえ……、おまえ、やったな。」
 程普のことばに黄蓋は、しどろもどろに答えた。
「い、いや、やったってほどのことは、やってない。ちょ、ちょっとしめあげて、しゃべらせただけだ。」
 孫堅の表情がけわしくなった。
「しめあげたということは、どういうことです。」
「つ、つまり、わたしが門の前までくると、ちょうど都からの使者らしい者が出ていこうとするところでしたので、ここになんの用できたと聞いたところ、そいつは、おまえなどにいう必要はないなどとぬかしたので、こいつは、ふつうに聞いたのではしゃべらないと思い、ちょっとばかりうでをねじあげてやったら、ベラベラしゃべりだすというしまつで、あんなに口がかるいんじゃ、都の役人も室が落ちたものです。とんでもないやろうだ。ああいうやつがのさばってるから、反乱があちこちでおこるのです。まったく、こまったものです。」
 黄蓋が自分のやったことをたなにあげ、都の役人の悪口をいいはじめたので、孫堅は、おこるのを通りこして、あきれかえってしまった。
引用元:『呉書三国志』(斉藤洋講談社/2019.3.26)p.23~24

アクションの描写はリアリティよりは盛り上がり重視で、読んでいて面白いです。
韓当かんとうの矢の描写をご覧いただくと雰囲気がおわかりいただけるかと。

韓当は立ちあがり、自分が乗ってきた馬の鞍に手をかけ、弓をとると、天にむかって矢をはなった。
 ビュッ!
 たちまち矢は青い空にすいこまれ、見えなくなってしまった。
 それを見送った黄蓋は、視線を韓当の顔にもどし、
「ふん。ずいぶん高く矢をうてるようだが、それだからどうだというのだ。」
と、鼻でわらって、
「弓など、高くうちあげればよいというものではない。命中していくらというものだからな。」
と、つけくわえた。
 だが、黄蓋が、そういい終わったか、いい終わらないかというとき、頭上でヒューッと音がしたかと思うと、孫堅黄蓋の足もとにドサリと、なにかが落ちてきた。
 見れば、それは胴体どうたいを一本の矢にうちぬかれた三羽のトビではないか。
「たしかに弓は、命中していくらというものです。」
 そういってほほえんだ韓当を見て、さすがの黄蓋もおどろくばかりだった。
引用元:『呉書三国志』(斉藤洋講談社/2019.3.26)p.35~36

韓当は左手に弓をかまえ、右手は、ただぐるぐるまわしているようにしか見えない。矢をうつ速さがあまりに速いので、そのようにしか見えないのだ。
引用元:『呉書三国志』(斉藤洋講談社/2019.3.26)p.91

斉藤洋さん独特のユーモア感覚と人間観

ルドルフとイッパイアッテナ」をご存知の方には容易に想像していただけるかと思いますが、著者斉藤洋さんの独特のユーモア感覚と人間観も『呉書三国志』の魅力です。
Wikipediaによれば児童文学作家で亜細亜あじ大学経営学部教授でドイツ文学者で「三国志演義」や『西遊さいゆう』の翻訳もなさっているということで
何者!?? という感じの斉藤洋さんは、1986年に『ルドルフとイッパイアッテナ』で講談社児童文学新人賞を受賞されています。
言葉遣いや物の見方がちょっとずつ面白くて、時にかっこいいんですよ~

本人たちは、うれしがってそうしているのだが、みな、賊の返り血をあびて血まみれなので、遠くから見たら、ごくの赤鬼が武器を持っておどりくるっているようにしか見えなかったろう。
引用元:『呉書三国志』(斉藤洋講談社/2019.3.26)p.95

「劉繇のもとで、おまえは、どのような仕事をしていたのだ。」
 そう聞かれて、太史慈は、くやしそうにうつむき、ぽつりと答えた。
「偵察隊の隊長だ。」
 孫策の将たちは、いっせいにざわめきだす。
「な、なんだ、偵察だと。」
「この大男をか。」
「偵察には目だたぬ者を使うのがふつうだが。」
※『呉書三国志』の太史慈は乗っている白馬がヤギに見えていまうほど体が大きい人物であるという設定
引用元:『呉書三国志』(斉藤洋講談社/2019.3.26)p.239

 ときどき孫堅は、三人の重臣たちに、
孫策のらんぼうには、こまったものだ。どうしたらいいだろうか。」
と相談するが、そういうとき韓当は、
「こまったものですなあ。」
とはいうものの、ぜんぜんこまっているような顔をしない。
 黄蓋は、
「お血筋ですから、しようがないのではないでしょうか。戦場での孫堅様のあばれぶりのほうが、もっとこまりものです。」
などといって、相談に乗ろうとしない。
 孫策のらんぼうの度がすぎたとき、それとなく孫策をいさめる程普通ですら、
「たまたま、いまは平和ですが、いつまた乱がおこるかわかりません。孫堅様のあとをつがれる人は、あれくらいでないといけません。いや、たのもしいかぎりです。」
と、大まじめな顔で孫策をかばうのだった。
引用元:『呉書三国志』(斉藤洋講談社/2019.3.26)p.105~106

「殿自身、ご自分でできるようにしかできないのであれば、それはしかたがないことではないでしょうか。われらは殿のやり方にしたがうだけです。殿がごくに落ちるのなら、われらも地獄に落ちましょう」
引用元:『呉書三国志』(斉藤洋講談社/2019.3.26)p.53

孫堅孫策がメインで、三国志の全体を網羅しているわけではない

さて、このように面白い『呉書三国志』ですが、当然ながら完全無欠ではありません。
話の中心は孫堅孫策そんさくで、魏や蜀にはほとんど言及されません。
曹操袁紹えんしょうの兵糧集積所に奇襲をかけた話も劉備諸葛亮さんの礼を尽くした話もなしです。
『呉書三国志』を読んだから三国志のお話はだいたい分かったよ~とは言えない(カバーされている範囲が狭い)ので、三国志の世界に親しむきっかけとして読んだり、三国志は一通り知っているけどいろんなのを読みたいというつもりで読むのがよろしいかなと思います。

孫堅孫策が礎を築いた呉は孫堅の曾孫の孫晧そんこうの代でしんに併合されますが、『呉書三国志』は主に孫堅孫策の頃の話です。
私が読んだ本は本文が350ページで終わるのですが、孫策は309ページまで登場します。
呉のことさえ網羅されていれば魏と蜀はべつにいいや、という目的で読むとしても、カバーされている範囲はやはり狭いですね。
けんパパやはく兄さん(孫策)、黄蓋韓当、程普、太史慈周瑜しゅうゆらが活き活きと動いているところを見たい、という目的で読むのであればきっと楽しいと思います。
その観点から一つだけ残念だと思ったのは、孫堅孫策も一人でどんどん敵中につっこんで行ってしまうキャラクターであるため、同工異曲で間延びしてしまっていることです。二人の行動様式に違いを出していただいたほうがよかったかなと思いました。

孫堅孫策をかっこよく描くために他の人物が割を食っている箇所がある

多くのお話に多かれ少なかれ起こっていることですが、ある人物をよく描くために他の人物が割を食ってしまうということがあります。
『呉書三国志』では孫堅孫策をよく描くためにその現象が起こっています。
三国志演義」の孫堅は皇帝のアイテムである玉璽ぎょくじを拾得した時にまんざらでもない様子でネコババしていますが、『呉書三国志』の孫堅は玉璽に関心を持たない人物で、程普の一存で程普が玉璽を持ち歩くことになります。
孫堅を無欲でさっぱりとした人物に描くために、程普が重荷を背負うことになっていますね。

三国志演義」では孫策きつに対して一人で腹を立てていますが、『呉書三国志』では張紘ちょうこう孫策に于吉を殺すようアドバイスしたことになっています。
孫策をエキセントリックな人のように見せないために張紘が汚れ役を買っています。
ただ、『呉書三国志』の張紘は于吉のことを天候を読んだり偽薬効果を利用しながら人心を掌握するからくりを行うインチキ仙人だと見破った賢い人物だとも言えるので、その点では演義の張紘像よりもかっこよくなっているとも言えそうです。

呉が主人公ということで最も割を食っているのは敵役のこうです。
五人の兵に守られきらびやかなよろいに身をかためて登場する黄祖は、危うくなれば妻子を捨てて逃げてしまう人物として描かれています。
三国志演義」でもすげない扱いを受けている黄祖ですが、ここまで積極的にイヤな人っぽく描かれてはいないですね。

太史慈に関しては、例外的に孫策が引き立て役になっている箇所がありました。
三国志演義」では太史慈孫策が一対一でよろいかぶとを引きちぎりながらの取っ組み合いをしていますが、『呉書三国志』では孫策は従者たちと一緒に太史慈一人と戦っています。
『呉書三国志』の太史慈は大男として描かれていますから、太史慈の力強さをこういう形で表現したのでしょう。

三国志演義」と比べてあれこれ言うのも無粋かもしれませんね。
お話を盛り上げるためにキャラクターをどう動かすかは作品ごとに違って当たり前かもしれません。

他の人物の逸話からの流用がある(けどそれは「三国志演義」もやってる)

三国志関連のエピソードで、これはあの人物の逸話、というイメージがついているものってありますよね。
『呉書三国志』では「ん? これはあの人物のあれをこっちの人物に流用したのかな?」と思う箇所がいくつかありました。
例えば、『呉書三国志』の周瑜は「いずれ孫権そんけん様には帝に……」と言うのですが、そういうこと言うの魯粛ろしゅくじゃないかな、と思うなどいたしました。
孫堅のあれがてんのあれっぽかったり、孫策の馬が劉備てきっぽかったりもしましたね……でもかっこよかったからヨシ!

他の人物の逸話を流用してしまうというのは「三国志演義」にもあることです。
例えば、赤壁せきへきの戦いの前に諸葛亮曹操軍の前に船を往来させて矢を射かけさせ、十万本の矢を得た話が「三国志演義」にありますが、「三国志演義」の先行作品である「三国志へい」ではそれをやったのは周瑜で、数百万の矢を得たことになっています。
周瑜の有能エピソードを諸葛亮に流用したんですね、「三国志演義」は。
もう。演義ったらいっつも蜀にばっかりえこひいきして。
演義のそれがOKなら『呉書三国志』も全然OKです!
ちなみに、曹操軍の前を船で航行して船に大量に矢を受ける話は正史『三国志』の注釈に引用されている『魏略ぎりゃく』という史書では孫権がやったことになっています。
史書孫権のかっこいい話が「三国志平話」では周瑜にとられ、「三国志演義」では諸葛亮にとられるという……歴史創作の伝統芸ですかね……
なので、『呉書三国志』だってそれをやったって面白ければヨシ! 断言!

一代一代は面白いけど呉の話としてのまとまりは微妙……

『呉書三国志』の孫堅孫策孫権の三代の主たちはそれぞれ魅力ある人物で、どの主人公の部分でも楽しく読むことができました。
一代一代は面白いですが、呉の話としてのまとまりは微妙かなと思いました。
孫堅は帝をたすけることを目的として動いていましたが、孫策の代になると荊州けいしゅう討伐と仇討ちが目的になり、主題がぶれています。
この点、「三国志演義」は劉氏勢力が終始一貫してかん王朝再興を目指しているため話として分かりやすいですね。
『呉書三国志』は、で結局みなさん何を目指しておられたんでしたっけ、ってなります。
でも、それを補って余りあるキャラクターの面白さがありますから、読んでよかったなぁと思える作品ではありました。
最後の終わり方は少し寂しい感じでしたが、それは三国が統一されるまでを描いている三国志の話ではほとんどに共通していることだと思いますので、しかたないですね。
呉のラストエンペラー孫晧そんこうの言われようには納得いきませんでしたが、亡国の君主は悪くいわれがちなのはあるあるなので、それも仕方ないですね。

まとめ:残念なところもあるけれど理屈抜きに面白い!

三国志の全体を網羅しているわけではない、孫堅孫策にえこひいき気味である、呉にとってのテーマに一貫性がない、などの欠点はあるものの、魅力的なキャラクター、派手なアクション、しゃれたせりふ回しで大変楽しく読める本でした。
呉の人物が好きだという方や、「ルドルフとイッパイアッテナ」が好きな方にはぜひお手にとっていただきたいです。
抜群に読みやすいので、三国志の話は難しくて挫折しがちという方にもオススメです。

私が読んだのは講談社から2019年3月に出版されている本ですが、1990年5月に講談社の歴史英雄シリーズででている『呉書三国志』には「ルパン三世」の原作者モンキー・パンチ先生のイラストが入っているそうです。
「モン三 呉書三国志」で検索したら面白い感想が出てきました。
機会があったらそちらの本も見てみたいものです。 

以上いろいろ書いてきましたが、『呉書三国志』の感想を一言でいうと「理屈抜きに面白かった」です!