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文化的背景が分かんなかったから分かんなかった中国ドラマのシーンの話

海外のドラマを見ていてノリがよく分からんなと思うことが多いです。
中国のテレビドラマ「北京バイオリン」では、主人公が他人のタオルを勝手に使ったとか使わないとかでもめていたシーンの意味がいまいち分かりませんでした。

「あなた、勝手に私のタオルを使ったでしょう!」
「使ってないよ」
「そんなわけない! 絶対使った! 信じられない! 最低!」
「使ってないったら」
「認めなさいよ! 私いつもタオルをきちんとかけてるもん。勝手に触ったら分かるんだから!」

うろ覚えですがこんな感じのやりとりだったと思います。
この場面、私はてっきり、のちに主人公の無実が証明されてこれまで主人公にライバル心をむき出しにしてツンケンしたいた女の子が主人公への態度を軟化させて友情が芽生える展開になるのだろうと思い込んでいました。
ところが、いつまで経っても主人公が実際のところ女の子のタオルを使ったのかどうかがドラマの中であかされなかったので、「???」となりました。
あのシーンはなんだったのか……

人の「面子(メンツ)」に配慮できない人格欠陥者

あのシーン、後々意味が分かるようになりました。
おそらく主人公はタオルを勝手に使ったのです。
最初に女の子から「使ったでしょ」と言われた時につい「使ってない」と返事をしてしまい、彼はそのままそれで通すしかなくなりました。
「ごめんなさい嘘です勝手に使いましたすみません」と言をひるがえせば彼は勝手にタオルを使ったうえに嘘をついてしらばっくれようとした最低なやつだということになり、面子(メンツ)は丸つぶれだからです。
女の子と一対一の時ならまだしも、私の記憶が間違っていなければあのシーンでは女の子の友人たちも見ていましたから、発言をひるがえすことは絶対にできません。

そういう場合、相手を責めている側が相手の苦境を察して手心を加えて相手に逃げ場を残しておくのが中国でのおだやかな喧嘩のやり方だと思います。
ところが女の子は「いつもきちんとタオルをかけてる」「勝手に触ったらわかる」と根拠を示し、主人公を追い詰めました。
このシーンから読み取るべき情報は、この女の子が人としてなっていないいじわるな子であって主人公がこの子と仲良くなるのは難しいということであり、主人公にライバル心をむき出しにしてツンケンしている女の子という人物像を補強するエピソードなのでした。

「面子」に配慮しないことがなぜ駄目なのか

中国の感覚だと、まともな人なら他人の面子を潰してまで真相を徹底究明なんてしないのではないでしょうか。
相手も内心ではおのれの非を認めているようだ、しかし面子があるから公然と認めることはできないだろう、こちらとしてはこっちの主張が間違っていないことがまわりに理解されており自分の利益が損なわれないのであればそれで十分だ、相手の面子を潰してまで白黒はっきりさせることはない。こう考えてゴニョゴニョっとごまかしてくれるのが普通だと思います。
タオルの女の子のケースでは「触ったら分かる」という根拠で相手を追い詰めるのではなく「とにかく勝手にタオル使われるのなんて絶対いやだからね! 二度と触らないで!」とでも言ってグレーのまま終わらせてあげるのがまともな振る舞いだろうと思います。

面子って、中国の人にはきっとものすごく大事なものなのです。
それを失えば天と地との間に人としておられないくらいのものなのではないでしょうか。
互いに配慮して互いの面子を尊重し合うのが中国でのまともな人間の振る舞いであるように思います。

この感覚は、私は中国に住んでみたり仕事で中国の人と関わったりしているうちに想像できるようになりました。
私が何かミスをしても中国の人はいつもゴニョゴニョっとごまかしてかばってくれましたし、私が謝罪なんかしようものなら慌てていやいやあれは誰のせいでもないですと、なんとか謝らせまいとしている感じでした。
おそらく、白黒はっきりさせて人に罪を認めさせて謝罪をさせるということが人の面子をつぶして仇敵としてロックオンされることにつながると考えていてるのではないでしょうか。
相手に逃げ場を残しておくことが自分の負うリスクを減らすことなのだろうと思います。

日本人にはなぜ「真相」が重要か

私は最初、主人公がタオルを使ったかどうかがいずれあかされるに違いないと予想していました。
それがあかされなかったことでキョトンとしたわけですが、なぜ私には真相が重要に思えたのでしょうか。

日本では自分の非をいさぎよく認めることは美徳として評価されます。
自分に非があるなら謝罪することは容易であり、糾弾に手心を加える必要もありません。
公正であるかどうかが評価を分けるため、タオルを使ったかどうかの真相が重要に思えたのでしょう。

真相はどうであれ本人がやっていないというなら糾弾はほどほどにしてあげるべきだという価値観ではないため、あのシーンが分からなかったのです。

文化の壁を感じた本場もの

以上、文化的背景が分かんなかったから分かんなかった中国ドラマのシーンの話でした。
ガチ中華を咀嚼するにはいろいろ分かってなきゃ難しいんだろうな~という感想文なんですが、いろんな中国に触れてちょっとずつ分かっていくことができればいいなと思います。

この記事も中国のかたが見たら「あ~、また中国のことをちょっと知ってる外国人が微妙に勘違いした中国を広めちゃってるよ」って思うかもしれないし、一口に中国と言っても広いし中国人と言っても個人差あるし、そもそも中国とか中国人とかいうクソデカ主語で語れる時代でもないかもしれません。

記事をお読みいただいて「ふぅん、そうなんだ?」と思われた方は、ぜひご自身の目で確かめてみて下さい!