MENU

2023-01-01から1年間の記事一覧

白馬を水に沈めるなんてかわいそう?毛宗崗本でカットされた満寵の逸話

西暦219年、関(かん)羽(う)が北に向かっての遠征を開始し、曹仁(そうじん)が守備していた樊(はん)城(じょう)に攻め寄せた時のことです。長雨で城が水びたしになり、ところどころ崩壊するしまつ。樊城の守備隊は動揺し、城を捨てて逃亡することを考…

関羽の顔が赤くなり張飛とバトルからの桃園結義!『歸田瑣記』巻七で読んだ

関(かん)羽(う)の顔はなぜ赤いのか。故郷の解県(かいけん)で罪を犯して逃げる途中に、河で顔を洗ったら赤くなったという話を聞いたことがある方も多いと思います。関羽と張(ちょう)飛(ひ)の出会いについては、張飛が井戸に豚肉を保管して上に重い…

諸葛亮が養子を邪魔にしたなんて信じない!諸葛喬にまつわる謎

諸葛亮が漢中に行ったのは建興五年なのに、諸葛亮に従って漢中に行ってから亡くなった諸葛喬の没年が「建興元年」と『三国志』に書いてあるのはおかしいです。 この明らかにおかしい没年の記述は、「諸葛亮に実子が生まれた建興五年より後に養子の諸葛喬が若…

孫休が息子の名前にオリジナル漢字を使ったことを裴松之が酷評していて笑っちゃう!

三国志 呉ごの第三代皇帝 孫休そんきゅう。 諸(しょ)子(し)百家(ひゃっか)の本を読み尽くそうというほどの読書家で、五経(ごきょう)博(はく)士(し)を立てたり干拓(かんたく)事業を行ったりと積極的に政治に取り組み、皇帝になる前に厳しく当た…

劉備のおべっか作戦炸裂!即興詩「美なるかな周郎」(三国志平話)

『三国志演義』の劉備(りゅうび)は詩を作らないキャラクターです。『三国志演義』第三十四回で、劉備のことを邪魔だと思っていた蔡瑁(さいぼう)が劉備の詩を偽造して劉表(りゅうひょう)に見せ、あいつはあなたに背く気ですと讒言(ざんげん)した時、…

張飛と曹豹のいさかいの様子とは?アルハラ描写の有無と比較

西暦196年、劉備(りゅうび)が袁術(えんじゅつ)と戦っている時に、当時の劉備の根拠地であった徐州(じょしゅう)の下邳(かひ)城の留守を預かっていた張飛(ちょうひ)が同僚の曹豹(そうほう)といさかいをおこし、呂(りょ)布(ふ)から城を奪われる…

袁術の読み方はえんじゅつ?えんすい?礼記注疏にヒントがあった!

袁術の「エンスイ」読みは資治通鑑の注釈者胡三省が「音遂」と音注をつけているためですが、それは妥当なのでしょうか。彼が根拠としている礼記月令を見ながら考えてみました。

徐庶はどんな人?正史三国志と注釈の全記述を一挙紹介!

三国志の中で、劉備(りゅうび)と諸葛亮(しょかつりょう)の出会いをプロデュースしたキーパーソンである徐庶(じょしょ)。三国志演義の中では忠と孝との板挟みになり劉備のもとを離れて曹操(そうそう)に降ったものの、心はずっと劉備にあり続けて曹操…

『呉書三国志』レビュー:呉が主役で水滸伝ばりのノリノリ三国志小説!作者はルドルフとイッパイアッテナの斉藤洋

「『三国志』だからといって、なにがなんでも、劉備や諸葛孔明を中心にしなければならないということは、ないわけです」←ロックだなぁ( ≧∀≦) ルドルフとイッパイアッテナでおなじみの斉藤洋氏による小説『呉書三国志』はその名の通り呉が中心の三国志物語です…

超難解!頭がピーマンの私が小林秀雄「無常という事」を読んでみた

小林秀雄「無常という事」。高校の教科書で名前は見たことがあります。読んでみたらこれがまあ超難解ですよ。どうして「無常という事」という題名なのか、じっくり読んでみたらようやく分かった気がしてきましたよ!

蜀の張休はどんな人?処刑された将軍か漢嘉の名士か

ちくま学芸文庫の正史三国志8巻にある人名索引では、張休(ちょうきゅう)という人名には三つの項が立てられています。 ①叔嗣(しゅくし) ←←(※呉の張昭の子です) ②魏(ぎ)の廬(ろ)江(こう)太守(たいしゅ) ③蜀(しょく)の将軍この③の蜀の張休は三国…

李盛はどんな人?三国志にたった一箇所の登場シーンはなんと処刑者リスト!

三国志に登場する李(り)盛(せい)という人物をご存知でしょうか。この人は三国志演義には登場せず、正史三国志にも一回しか出てきません。一体どんな人なのでしょうか。 李盛の登場シーン 李盛とはどんな人? まとめ 李盛の登場シーン 李盛は蜀(しょく)…

二喬?二橋?大橋小橋の父は橋玄?違う?

二喬の姓は演義では「喬」、正史では「橋」。橋公を太尉の橋玄であるとする説があるが『三国志集解』盧弼はその説を採らない。盧弼の考察を訳しました。

「出師の表を読んで涙をおとさない者は不忠」の出典は?

蜀(しょく)に政権を立てた劉備(りゅうび)が亡くなり、後事を託された諸葛亮(しょかつりょう)。敵国 魏(ぎ)と戦うために都を離れる際、皇帝 劉禅(りゅうぜん)に奉った文章「出(すい)師(し)の表」は、北伐(ほくばつ)に向かう決意と劉備・劉禅…

曹丕から罪を許された時の曹洪のへりくだり方がスゴイ!

曹操(そうそう)のピンチに馬を譲ったり、兵隊を集めたり兵糧を集めたりと、ナイスアシストが目立ち、魏の頼れるキャラクターっぽい曹洪(そうこう)。財産が好きだったり女性が好きだったりするイメージもあり、おちゃめな一面もございます。曹洪が法を犯…

陳琳に代筆させた手紙を自分が書いたと言い張る曹洪がキュート♡「為曹洪与魏文帝書(曹洪のために魏の文帝にあたうる書)」【全訳】

曹操(そうそう)が董卓(とうたく)軍との合戦に敗れた時のこと。馬を失ってしまい、追っ手がまさに迫ろうとしている時、馬を下りて曹操に馬を譲る人物がいました。その名は曹洪(そうこう)。「天下に曹洪はいなくてもよいが、あなたはいなくてはならない…

毛宗崗「読三国志法」全訳。現行の三国志演義を編纂した人による演義の解説文

毛宗崗本の『三国志演義』には「読三国志法」という文章が添えられており、そこには毛宗崗の、三国志演義はこういう話なんだ、こういうふうに読んでほしい、という思いが記されています。 『三国志演義』がどういう意図で編纂されたのかを知りたい方には興味…

後出師の表の「鞠躬尽力」を「鞠躬尽瘁」に変えたのは文天祥なのか?

蜀(しょく)に政権を立てた劉備(りゅうび)が亡くなり、後事を託された諸葛亮(しょかつりょう)。漢室(かんしつ)復興のために敵国 魏(ぎ)への遠征を行いましたが、初回は撤退。その年の冬に二度目の遠征を始めます。その際、皇帝 劉禅(りゅうぜん)…

神は細部にやどる!三国志演義が一文字に込めた思いとは

『三国(さんごく)志(し)演(えん)義(ぎ)』は、歴史書の『三国志』に記されている時代の出来事を、様々な史料や講談などを参考にしながら物語としてまとめた小説です。話の面白さもさることながら、知識人が読むにも耐える書物として、文体の格調高さ…

簒奪ルートのフラグ?司馬懿を伊尹にたとえた意味とは

先日ツイッターでこんなお話を拝見しました。 伊(い)尹(いん)は殷(いん)王朝の重臣で、王を追放して自らが政治を執ったことのある人物です。司馬懿(しばい)が亡くなった時に人々が司馬懿のことを伊尹にたとえたというのはどういう意味なのでしょうか…

陸績「ママにミカンをあげたい」は名声上げのため?春秋左氏伝の潁考叔のまねか

三国の呉(ご)の重鎮・陸遜(りくそん)は呉(ご)郡(ぐん)陸(りく)氏(し)といわれる名門の一族の人物です。陸遜の祖父の弟の子である陸績(りくせき)は、六歳の時に袁術(えんじゅつ)を訪問して、出された橘(みかん)を「お母さんにあげたい」と…

李衡はどんな人?権力を恐れぬ庶民出身の能吏でミカンを資産として残した恐妻家

呉の孫権に取り立てられ、孫休の代には威遠将軍にまで昇った李衡。 兵卒の家の出身で、伝統にとらわれない考え方ができる人だったようです。 彼の事績は晋の習鑿歯の手による『襄陽耆旧記』にまとまっていますので、その翻訳をしながら人物像を見てみましょ…

袁術が欲しがったのは蜂蜜?甘い飲み物?水?諸本の比較

後(ご)漢(かん)末期に自ら皇帝を称した袁術(えんじゅつ)。勢力の維持が上手くいかず、戦いに敗れて落ち延びる途中で亡くなりました。 三国志ファンの間で時々耳にする話として、袁術が亡くなる直前に「蜂蜜がなめたい」と言ったという噂があり、その亡…

陳琳が檄文で曹操をけなした言葉「贅閹の遺醜」の贅閹とは?身売り同然の養子と宦官

袁紹が陳琳に書かせた檄文にある「操贅閹遺醜(曹操は贅閹の遺醜である)」という言葉。贅は曹騰の養子である曹嵩を指しますが、贅とはどういう意味でしょうか。贅について調べてみました。

その男、崔廉。三国志平話で「六分割」された督郵

『三国志演義』で張飛にめった討ちにされた督郵。『三国志演義』より早い時期に成立した三国志物語『三国志平話』では「崔廉」という名前を与えられており、人物像も『三国志演義』とは少し異なっております。そして、『三国志平話』での督郵の始末の仕方は…

「七分の実事に三分の虚構」の出典は?章学誠『丙辰札記』の該当箇所を読んでみた

三国志演義について「七分の実事に三分の虚構」と評したのは章学誠だそうで、『丙辰札記』の中の言葉です。その部分を翻訳してみました。(日本語訳、現代語訳。原文付き)

文化的背景が分かんなかったから分かんなかった中国ドラマのシーンの話

海外のドラマを見ていてノリがよく分からんなと思うことが多いです。中国のテレビドラマ「北京バイオリン」では、主人公が他人のタオルを勝手に使ったとか使わないとかでもめていたシーンの意味がいまいち分かりませんでした。 「あなた、勝手に私のタオルを…

『笑林』全訳(仮)

三国志の魏の邯鄲淳が撰したと言われる笑い話集『笑林』の訳です。当時の人々のユーモアセンスが垣間見られることと思います。日本の落語の元ネタになった話もあります。

『華陽国志』巻四「南中志」ふんわり和訳

寧州は晋の泰始六年初に置かれた。蜀の南中諸郡は庲降都督が治めている。南中は昔、夷越の地だったのであろう。滇、濮、句町、夜郎、葉榆、桐師、嶲唐、侯王国は十数。〔あるいは髪を椎髻に結って耕田し集落をなし、あるいは〕編髮、「左衽」で家畜に従って…

北方謙三『三国志』についての個人的な見方※雑文です

私は以前「これまでに読んだ『三国志』という題名の小説の中では北方謙三『三国志』が一番好きだ」という趣旨の発言をしたことがあります。このことによって私のことを北方謙三『三国志』を高く評価している人だと思っていらっしゃる方もおられるようですので…